「国主と座の結合体」でキチンと旧来秩序を守るのと、いちど「楽市楽座の混乱」を経験するのとでは、どちらが「天下万民の為」になるか。
0)ウェブノイド対デッタイト*1
西秀治記者は『日米の「綱引き」』と書いているが、この軸は、単に国内に「新興Webサービサー」が居ない事の結果だ。基底の軸は、「新興Webサービサー V.S. 紙の出版社」の主導権争いと捉えた方が面白いかと思う。
Amazon Kindle × B&NのNookと同様、「新興Webサービサー」に対して、既存出版社が主導権を獲りに行こうとするのは自然な事だろう。
また必要な事でもある。「フロンティアの開拓者」は、「先行者利益」を求める。必然的に彼らは「知財ブロック化」を志向する。ひらたく言うと、競争があるのは良い事だ(趣味的には、あの息苦しい猊下の首輪をする気になれずに居る*2)。
ただし、日本国内には二つの固有風土がある。
1)「座」
〈参加予定の出版社〉 朝日新聞出版、NHK出版、学研ホールディングス、角川書店、河出書房新社、講談社、光文社、実業之日本社、集英社、主婦の友社、小学館、祥伝社、新潮社、ダイヤモンド社、筑摩書房、中央公論新社、徳間書店、日経BP社、PHP研究所、双葉社、文芸春秋(50音順)
非まんが系大手勢揃いと言ったところ。日本人は「業界一丸」が大好きだ。
電子書籍は、21社がそれぞれの著作者から許諾を取ったうえで、販売業者のサイト(ネット書店)にデジタルデータとして売る。新組織は、出版社からデータを整えて送る際の規格や方式を共通化した「フォーマット」作りも進める。
「有価Bit販売」は不可避にしても、こうしたものが「紙の出版社の主導」でできれば、「紙の出版社の痛み」は少ない。「紙の出版社」がそれを志向するのは自然な事だろう。が、バーンズ&ノーブルのような「抜け駆けをしない」のが日本の特徴だ。
「業界一丸」には問題がなくもない。例えば「こうじ屋」が団結すると、米を売りたい農家は商売で立場が弱くなる。こうじが不可欠な酒蔵の立場も弱くなる。歴史上、「こうじ座」の度が過ぎて戦争になる事もあった。
と、『もやしもん』に書いてあった。
2)「代官」
意地悪く下線部を繋げて「かもす」と、
- 「紙の出版社」が、
- デジタル化権を、
- 法的に独占できるように、
- 「代官」にいくらか包む。
- ふっ、おぬしもワルよのぉ
これが「かもし過ぎ」か否かは、
一般社団法人「日本電子書籍出版社協会」(仮称)を2月に発足させる。
この団体の専務理事の出自と勤続年数、そして報酬の額に依る*3。
それで「日本の文化が発展」するなら五月蝿い事はいわないが、現状では、「国内に新興Webサービサーは居ない」。
3)混乱の問題。
- 「出版社の考えが反映できる場を持つことで国内市場をきちんと運営できる」
- 新潮社の佐藤隆信社長
趣味的には、競争があるのは良い事だと思う。社会経済構造の変革期には、「国主と座の結合体」より「楽市楽座」の方が、商業が伸び税収も上がる派なので。
もしも、10Q1現在が情報革命という地球規模の社会経済構造の変革期の場合、混乱は不可避だ。この場合、国内市場をきちんと運営するよりも、いちど「優勝劣敗の蟲毒壷」に飛び込む方が良いだろう。そのほうが素早く「よりよい新世界秩序」ができると考えられるからだ。「不可避の混乱」を短縮できると考えられるからだ。その経験は、地球規模の情報革命でイニシアティブを獲る為に不可欠と考えられるからだ。
電子ペーパーだろうがなんだろうが紙の方が読み易い派ではあるのだけれど、この「きちんと」が「座の秩序」を意味するのなら、趣味的には面白みが薄い。
X)
ローマ教会 | ルター派・カルバン派 |
写本聖書 | 印刷聖書 |
写本を生業とする修道僧 | 印刷業者(新興) |
知識の独り占めイクナイ! | 仁義なき無許諾出版合戦の果てに、 共倒れを防ぐ安全弁として著作権を発明(出版社の始祖鳥) |
写本聖書は、畳かと思うほど巨大で、文字も罫線も極めて装飾的であり、甚だしきは装丁に金銀象眼を施す事さえあった。マジで武器になりそう。当然にクソ高い。
当初の印刷聖書は、コレを手本とした。そうしたものをインキュナブラ(揺籃期の産物?)と呼ぶ。珍重する向きもあるようだ。
現代的な意味での「本」は、ずいぶん後に「持ち歩けるサイズ」と「読み易いフォント」が発明されてから普及した。見た目はショボイがナカミは一緒だ。これで「大金持ち」でなくても聖書を自分で持てるようになり、「イノベーション」が起きた。
イロイロなバトルの後で。ローマ教会内部でも宗教改革に対抗して、対抗宗教改革という動きが起きた*4。教義上の意義は知らない。が。彼らは減ってしまった信者を補う為に南米や東亜に赴いた。その際に印刷聖書と活版印刷機を強力な武器にした事は確からしい。いやザビエルだのロヨラだのが人を殴るのに使ったとか、そーゆー意味でなくて。
国内メーカーが未だ「ハイテクハイテク日本はやっぱりモノツクリ教」から醒めぬ中で。出版社がこうした動きに出た事自体は歓迎だ。だが、それは「写本修道僧のくらし」を守るために、原著作者に帰属する著作権を奪う事もあり得る。