デジタライズド・コンテンツはオリジナルに敵わない。

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まんが

『デジタライズド・コンテンツ』は、視覚においても聴覚においても触覚においても、品質でオリジナルを凌ぐ事はない。「デジタライズの本質は安かろう悪かろう」だからだ。

然し。その事はさして重要ではない。インキュナブラもまた「手書き写本の模倣」であり「品質」に於いてコレを凌ぐものではなかった。同じモノサシで言えば「文庫本」はさらに「低品質」だったが、「異質」でもあった。

15世紀



1455、「インキュナブラ」の時代
※装飾写本を模した大判の印刷本
1494、アルド印刷所
  • 「本のイノベーション
    • イタリック体、アンティカ体
    • ページ番号
    • 「持ち歩けるサイズの本」
  • 資本家階級を中心に普及。
  • 一方で海賊版問題が拡大
※赤太字:この時代の「New!!」
16世紀著作権の法制化
宗教改革
1521、ローマ教皇、ルターを破門
1529、カッペル戦争(スイス)
1546、シュマルカルデン戦争(独)
1562、ユグノー戦争(仏)
1568、八十年戦争(蘭)
「文庫本」と「文庫本コミュニティ」、それらを支える「資本家階級」は、情報を吸収し、ルネサンスを加速し、宗教革命と今日の著作権を生むに至った。その陰で「写本修道僧」は歴史の後方に退いていった*1

 コンテンツをデジタル化するだけではだめなのだ。メディア事業の本質自体をインターネットという新しい環境に合わせて進化させなければならないのだ。
 メディア事業の本質は、昔も今もコミュニティ運営である。コンテンツを読みたくて人が集まってくる。情報の周りにコミュニティができるのである。そして そこにコミュニティがあるので、さらに情報が集まってくる。この正のスパイラルがメディア事業の本質なのだ。

既存の「マスコミ業界」や「出版業界」が旧勢に復す事は考えにくい。しかし「無料のウェブ(aka.広告モデル)」が、今の形のまま持続する事も考えにくい。「購買モデル」は、一定の地歩を確保するだろう。衆に優れた才覚には、いつだって人が集まるからだ。ソレはカネになる。

*1:対抗宗教改革の旗手イエズス会は、新信者獲得のため中国を目指したが、彼らが船に積み込んだのは活版印刷機とその職人、次いで印刷聖書だった。