09Q3児童買春・児童ポルノ禁止法の改正が話題になった当時の『社会派くんがゆく!』から

ポルノ規制は票になる件について

村崎 いやあ伝統的に自民党って、選挙前になるとやたらとポルノ関係を取り締まるものじゃん。あれやると、露骨に婦人票が伸びるらしいんだよ。だから選挙の事前運動の一種だと思って間違いない。

  • ※と議会選挙は2009にやったばかりなので、「選挙前」ではない。但し「自公」と「民主ほか」の議席は伯仲している。

誤爆上等過剰規制のリスクについて

唐沢 児童ポルノ法にしろそうだけど、“この法案が通過したら、それを逆手にとった悪質な犯罪がが起こるのでは”ってことまで論議されることが、日本って本当に少ない国だからね。とにかく“まず、通さなきゃいけない”って目を吊り上げて必死になっている人に、みんなひきずられてしまう。問題点を指摘すると、“じゃああなたは子供が性の犠牲になってもいいというのか!”と二者択一を迫られて、ワルモノにされてしまうんだな

cf.ZEO PROJECT: 東京都議会・総務委員会傍聴(3月18日)に行ってきたよー!
  • 1)自民党 吉原委員の質問より。
  • 他の議員の皆様には、良識のある判断をお願いしたい。不健全なものは子供には見せたくないというのが普通の感覚、常識だと思う。これを反対するようなことがあれば、社会から多くの批判を受けることになる。

※モロにあてはまる。

  • 2)民主党 浅野委員の質問に対するZEO PROJECTさんの感想

1「そもそも18歳未満の青少年の性行為を青少年が読んで何で悪いの?」2「キャラクターと現実は全く別だろ?」っていうところに全く言及がなかったのは、すっごく不思議でした。3そもそも、そこが問題にならない?

「世間様(aka.サイレント魔女リティ)」は、1悪いに決まってるぢゃん!2同じだよ!3そもそも、そこは問題どころか「あたりまえ」だ!と思っている可能性がある。民主はそれを考慮している可能性がある。

cf.誤爆上等過剰規制の例:銃刀法改正

  1. 07Q4:佐世保乱射事件(URI)→ 銃刀法改正の機運。
  2. 08Q2:秋葉原通り魔事件(URI)→ ナイフ絡みの厳格化を追加。
  3. 08Q4:可決
  4. 09Q1:施行
  5. 09Q2:TV番組でタレントさんが6秒間、猟銃を手に取ったら滋賀県警が事情聴取(URI)。
  • 09Q3:カキの殻むきが銃刀法違反になり得ると北海道警が注意を促す(URI)。

※所感:お巡りさんは「常識」より「法の支配」が優先する。「常識を優先」すると「恣意的な捜査」になる。国会における銃刀法改正の審議が不十分だった可能性が高い。

規制反対が視野狭窄を生む件について

唐沢 その通りなんだが、もはや、その問題提起もカビが生えた物言いになっちまったな。問題はね、人権々々と空虚な権利主張が長年繰り返される段階で、本来の基本的人権の主張ですら、単なるワガママの言い立てというイメージが定着しているということなんだよ。ロリエロの表現の自由って、確かに表現の自由というレベルでは守られなくてはいけないことだけど、その表現を不快に思う自由を行使する人々との兼ね合いを常に考えないといけないことだろう? ところが、ロリ系の掲示板などを見てみるに、彼らはほとんど、自分たちの表現の自由しか言い立ててないのね。それぞれのいわゆる自由には、その価値観同士対立するものがあって、全ての自由が無制限に許されるものでない、ということくらい、常識でわかりそうなものなんだが、そこが全く論議の中に入っていない。

Post Itのつもり(1)
拡大するビジネスは、いずれかの時点で
「世間様の要求」に直面する。
例:車の排ガス規制など。
サクヒンビジネスは科学技術では
対処できない。別の方策が要る。

表現の自由とは別に、あくまでもビジネスとして考えた場合、『パターンA)客が喜んで、店が儲かってるならいいぢゃなイカ!』は持続し難い。

定石は、1)必要に応じた戦術的撤退。2)「傑作」による世間様の洗脳(中心は若年者)。3)世間様の世代交代≒社会的な許容範囲の変化、まで生残する事。

4)これにより、リアルタイマーを生涯搾り、その子、孫も搾る事が可能。例:ガンダム*1

なお、平均寿命の伸びにより、3)番は所要期間が伸びる可能性大。また人口減傾向により、将来市場の期待値はかつてなく低い。さらに出版不況で版元は体力がピヨっている。従って。ここから「折れる」可能性がある。

例えば、「フィルタリング規制による実質的な iPad/Kindle 排除(cf.日本だけ撤退、海外では継続。)」とバーターに、「自主規制の大幅強化」を呑ませる、など(どちらとも組織票・組織献金になり得る)。


*1:さして強くはなかったようだが『戦争を賛美している!』という批判があったようだ。