粘菌主義

日本人は、竹林のような地下茎植物。または粘菌のような群体生物。みたいなものかとかねがね。

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以前NHKアーカイブスかなんかで、『力ある者力出せ。知恵のある者知恵を出せ。金のある者金を出せ。なにも無ければ命出せ。』みたいな台詞を云うご老人を見た。つけっぱなしのTVから流れて来た台詞にびっと惹かれただけなので、なんの番組かはよく覚えてないのだけど、中国で植林に精を出された方のようだった。映像はカラーながら70年代か80年代っぽく、アーカイブスでもある事だし、たぶん、戦前生まれの方なのだろう。

『命出せ』はともかく、他の部分は、それ以前にも見聞きした記憶があり、ぼんやりと違和感を持っていた。韻を踏んでるからには節があるハズで、節があるからには落ちがなければシマラナイ。証拠なんてなにもないけど、決め台詞か何かのように謡う老人を見て、コレがオリジナルだと思った。命ですか。そら締まるわ。はは。録画しとくんだったよもうorz。そしてもう一つ。

主題が無い。それを気にしていた。「なんのために」が抜けている。なにかの心得なら『武士道とは、死ぬ事と見つけたり』みたくに、主題があってもいいじゃなイカ。それが自明の時に使う台詞〜 One for all, all for one とウォー・クライを混ぜたようなもの〜 とは思うのだけど、シチュエーションが想像できなかった。謡う老人の顔を見て、もしかして戦前の農村で使われた言い回しなのかなと思った。なにかの共同作業とか、例えば用水土木工事とか。

人口の殆どが米農家なら、目的は自明だ。リソースを出すか否かだけだ。出す者が敬意を受け、出し惜しみする者はそうでもない。「なんのために」を問う者は、おきゃくさんであり、ナカマでない。「リソース・ポトラッチ」に命を賭けない者は、お米の増産に貢献しない。

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仮に。それが江戸三百年の間に培われた「文化」、「思想」、、、いや「空気」だったとする(町人のそれとは、似ていたとしても濃淡が違うハズだ)。

さらに仮に。明治初年〜WW1バブルまでは、その空気が「自由主義経済(町人の空気とは、やや相性が良かった筈だ)」に浸食されてゆく過程だったとする。

国家総動員体制は、その空気を「工業化プロセス」に植林する効果があり、その緑は、高度成長・終身雇用"文化"*1の一番下のレイヤーに受け継がれた。ハズだ。そして所得が倍増したなら、収穫は「みんなで分け合う」のが「ただしい」*2。ハズだ。

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しかしながら。人々が『命出せ』を嫌い口にしなくなると、やがては、それを脳内補間できない世代が現れる。彼らはその空気に、金も力も知恵もないです。という「イイワケの穴」を開けて回る。一方で、「なんのために」が見えなくなってしまった後にも、「出せx3」の空気は残る。
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ぢゃあ、「なんのために」があればいいワケだが。はて、今から「胃に穴あけるのも給料のうち!」てな空気に馴染めるかなぁ。

*1:国家総動員2.0:1960〜70

*2:角栄システム:1970〜バブル