学識経験者の審議会について
- 2010/04/19:「学識経験者」とは? - 松本徹三
官庁が何かの問題について民間に意見を求める時には、「学識経験者」等から構成される委員会等を作って、そこに諮問するのが普通です。しかし、そういった委員会等の委員の先生方の顔ぶれを見ると、「え、こういう問題について、本当によく知っている人がこの中にいるの?」と、首をかしげることが多いのも事実です。中には、委員に選ばれた時に、「私には全く分からない分野ですが、よく勉強してみます」等と公言される方もおられるので、これには驚きます。よく分かっていない人は、そもそもその分野での「学識経験者」ではないのですから、本来なら辞退されて然るべきなのです。
「学識」や「経験」いぜんに、彼らは結果責任を負っていない。でもそこでなんか決まる。「ふつうのせけん」では、これを無責任と云う。
——審議会などの存在も、役人の筋書きを権威付けるために利用されているだけだ、という指摘もあります。
高橋 その通りです。
- まず人選。学者については著書を読めばどういう立場かすぐ分かるので、例えば賛成派9割、反対派1割という具合にまとめます。
- 反対派を増やさざるを得ない状況もありますが、やり方はあります。反対派の人の都合の悪い日に会合を設定する、などはよく使う手です。
- タイムスケジュールも結論も最初から決まっています。「5月の連休明けに結論を出すから逆算して……」と段取りをつけます。
- 誰が何を言いそうかは、データベース化しています。私も少し関わっていましたが。色分けが済んでいて、誰を選べばいいか、誰を避けるべきか瞬時に分かります。
- 審議会のメンバーになると、海外出張の予算が付きやすいなどの「特典」もあります。で、その際財務省の役人も「おもてなし」のため付いていきます。私もやったことがありますが、外務省に任せるなんてとんでもない、財務省が入管から完全に自前でアテンドをやります。入管は待たずにすっと通れます。
- 担当の役人が直接話をつける訳ではないのですが、航空会社への出資・融資関係にちょちょいと声をかければ、簡単にファーストクラスなどのアップグレードチケットが入手できます。当日になって学者に「何故だか知りませんがファーストクラスに変わってました」などと言って勧めれば、大喜び、大感激で乗っていきます。まあ、感激しそうなタイプの学者を選んでる、というのもありますが。これを重ねると役所に好意的になっていきますね。
- ジンセン、ニッテイ、コロガシ
これらは「社内」や「業界内」の「根回し」であれば、「ふつう」だと思う。字で書くと気苦労が多く見えるが、目指すところがあるなら、そこへ向かってすすんでゆくのは、楽しい。これは「される側」では味わえない。ずっと「される側」なんてまっぴらだ。この楽しさを知らない人は、絶対人生損してる(この点では、竹中平蔵さんはオトコマエだと思う。毀誉褒貶があるのは「あたりまえ」だ)。
「官僚」は、結果責任を負っている。但しそれは自分の出世とか、天下り先の格とか、そういう意味での「あたりまえ」だ。事はおくにのまつりごと、そこには政治責任というものが加算される。選挙も政治任用も無い彼らはこれを背負っていない。でもそこでなんか決まる。これも日本語で無責任と云う。
- 2010/04/19:「学識経験者」とは? - 松本徹三
それでは、どうすればよいのでしょうか? 私は全ての委員会を「委員」と「ゲスト」で構成し、「委員」には「中立的な立場にある人達」を任命する一方、「ゲスト」として、「直接的な利害関係者」を招くのがよいのではないかと思っています。「ゲスト」は、何も遠慮することなく、自分の会社が得ている情報を提供し、自分の会社の主張したいことを主張すればよいし、それに対し、競争的な立場にある他の「ゲスト」が、真っ向から異論を唱えるということがあっても、当然よいと思います。また、「委員」と「ゲスト」の立場は、当然のことながら、全く対等であるべきです。「委員」が述べた見解に対し、「ゲスト」が公然と反論し、或いは逆質問でその見解の矛盾点を衝くというようなことも、当然あってよいと思います。どんな事であれ、およそ国の方針を決めようというような場合には、衝突する利害を持った人達、全く異なった意見を持った人達の間で、徹底的な議論があって然るべきであり、結論は始めから官僚が用意して、「一応皆様の意見は聞きましたよ」という形式を整える為の「委員会」や「ヒアリング」なら、やらない方がマシでしょう。
以上1.2.は「つけたし」であり、引用させていただいた松本翁の基本線にはまったく異論が無い。
万機は公論に決すべきものだ。