日米ご長寿iPad大戦
米
- 2010年4月23日:iPad に夢中の 99 歳 « maclalala2
キャンベル夫人がiPadを駆使するムービーと、彼女が書かれた詩の全訳は先方でお楽しみ頂きたいが、原文中に『to read and to write Are again within sight』とある。ちょっと萌え(フケ専か。
彼女が大学を出た30'sアタマの米国では、既にタイプライターのキー配列は事実上標準化されたものが普及している。米国でも女性が社会で「責任ある仕事」を任されるようになるのは戦後*1。キャンベルさん、十中八九タイピスト経験もってる*2。
ソレ以前。「アメージングなテクノロジーが人々の生活を不可逆的にイノベーション!」とゆうものが、恐らく世界最初に米国で始まっている。これは20年代に最初のピークを迎える。キャンベルさん、モロに青春どまんなか。十中八九「テクノ・イノベーション・ネイティブ」だ。
ムービーには、対角9.7in, ヨコタテ4:3, 横置き下2/5にキーボード出してぺこぺこやるキャンベルさんの姿があるが、姿勢と一本指打法とiPadのサイズはともかく、彼女の視界は、レターサイズをタイプライターに挟んだ時のそれに近いように思える。
もしもiPadの黒枠が左右合わせて2.7cm程度なら、ドンピシャ。
『to read and to write Are AGAIN WITHIN SIGHT』てのはコレ、打鍵に合わせてKBの直上に文字が現われてゆくタイプライターの感覚を詠んだものではないか?私の視界によく見た景色がよみがえる的な含みがあるんぢゃないのかこれわッ!*3
……萌え!!(ナニ専だ)。
日
ご両親にiPadを使ってもらって見た記者さんのレポート。
どちらも70歳を越えており、老眼もかなり進んでいる。長年PCやワープロを使っており、この世代にしてはデジタル機器に親しんでいるほうだと思う。
しかしそれでも複雑な作業は難しく、簡単な文書作成やデジカメからの写真取り込み、そして写真や挨拶状の印刷が主な用途
たまにWebでニュースや筆者の執筆した記事を見たり(当然この記事も見られるだろう)、外出先の地図や周辺情報をチェックしたりする程度だ。
2010に70歳ジャストとしてsince 1940。ワープロは企業用が1980年代(≒40代)後半には30万円以下にまで下がり、個人用もテキストに関しては当時のパソコン同等以上の機能に進化したが(おそらくキー配列は、各社様々だったと思われる)、90年代に入ると低価格化が進むPCに代替されていった。
つまり使わない方はまったく使わないが、使う方は「オフィス・オートメーション」の旗ふり役だったり、98の最古老層だったり、松だか桐だかおれマカだから知らんけど自力で蔵書データベース組んでたりして、ひっじょおおに濃い。油断してるとアクセス買ったんだけど変換してくれまいかと"ディスケット"出して来たりする。侮れない。つかあたしゃマカーなんで勘弁してくがさう(そのときの動揺忘れることあたわずw。
これは日本では、「機械による情報処理」との親和性に個人差が激しい事を意味する。米国では、タイプライター、パンチカード、集計機、作表機、キャッシュレジスターなどは、それらがまだ「メカ」だった時代から統合的な「システム」として売られており、その操作は「ワーカー」の募集条件にもなっていた。この点、日本は、個人差が、激しい。
消費者市場を見る場合、どちらがどうと言う事はない。魚種が違うというだけだ。釣るには「別のシカケ」が要る。
iPadを見た両親の第一声は「思ったより(本体が)小さい」だった。
「iPhoneもiPadもどちらも文字が小さい」
- その次は、
「テレビは見られるのか?」だった。
「じゃあ何ができる? 朝日新聞は読めるのか?」
針は大き過ぎても小さ過ぎても掛からない。餌は好みでなければ食いつかない。
1)iPadは長辺、短辺ともA4用紙に満たない。
リードもライトもA4基準な感覚では、フットプリントがそれ以下では「小さい」。「to read and to write」をタイプライターに挟んだレターサイズを許容する感覚では、ヨコ幅だけ見て8.5インチありゃ「十分」、みたいな差があるかと思う。
3)日本人は世界有数のテレビっ子だ。
iPad、テレビ無ければタダの板。