日本の首相の在任期間
- 日本国歴代内閣 - Wikipedia より作成。
- 全体平均は、同区間の米英独仏露中と比べ非常にみじかい。
- でも55体制期(冷戦景気)のあいだは、結構長い。
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ロ)の末期、WW1(1914~1919)で日本はみぞうゆうの好景気に沸いた。列強不在の東亜市場を独占できた事、輸入途絶により国産品が発達した事、などの事情により、日本は農業国から準工業国へ、また債務国から債権国に脱皮した。戦後不況、なかんずく列強の東亜市場復帰により、ちょっとスゲェ格差社会に転落。ここに普通選挙、憲政の常道、そして新聞・雑誌・ラジオなどの「情報革命」が重なる。
ハ)大正デモクラシー—シリーズ日本近現代史〈4〉 (岩波新書) P241
『東京朝日新聞』(1932年1月3日)は、「政治の習律となってまだ日浅き政党政治が、既に国民のけん怠を買い、更にぞう悪の的とまでなった原因は第一に腐敗、第二に無能である」「しかも最近政治の局面が満州事変、財界大動揺によって未曾有の重大性を帯ぶるに伴れ、一層政党政治を頼りなく思うの情が強化した」と述べた。
へ)の区間、日本は冷戦景気でみぞうゆうの好景気に沸いた。日米安保で軍事費を節約できた事、東西分断市場の中で民需品に力を集中投入できた事、などによる。冷戦終了後、日本が圧していた「G7の民需市場」には、以下の競争者が現われた。