野球トバクは公営化してはどうか。

野球賭博や相撲賭博は、文科省認可の財団法人でもつくって公営化してはどうか。
闇社会の資金源は潰せるし、「お目付役」って事で天下りの椅子も増える。テラセンはスポーツ振興につかえるし、もしかしたら少しくらいは「はやぶさ2」にも回せるかもしれない。なにしろ公営賭博のテラセンは、自由度が高い。
闇社会の資金源として、ダダ漏れに流れて行くよりは「マシ」と思う。つか、そんなに面白いならアタシも一度やってみたい。ゲド戦記愛読派としては、叩いて闇が消えるなら面白みが薄いとも思う。
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話は変わるが、以下、1950年代のコンピュータ開発の話。文字装飾オレ。

世界で日本だけがIBMの支配を受けなかったのは、通産省の行政面からの働きかけと、戦時中に培った通信機メーカーの技術力があったから。この二点に加え、通産省重工業局の局長だった佐橋滋さんの政策による支援があったことを忘れてはなりません」
⎯⎯経済的な面ですね。
「あれは錬金術ですよ」
⎯⎯といいますと?
「和田・高橋の両氏が電気試験所で開発していたトランジスタ計算機の研究・試作費は、すべて競輪業界から出ていたんです。1政府から回ってくる公的資金は自由になりませんし2銀行は警戒してコンピュータ製作なんかには金は出しませんからね財団法人を作って自転車振興会のお金を補助金として出してもらっていたんですこの資金が無ければ現在のコンピュータ業界はなかったでしょう
日本人がコンピュータを作った! (アスキー新書 154) - P100(喜安善市氏の章)

バクチのお金バクチから出すのは、理にかなっている。「名馬」が生まれるには、以下の条件が揃う必要がある。

  • イ)情報の集約と分析
  • ロ)アドバンテージの発見
  • ハ)インキュベイション投資
    1. 政府予算は、大蔵省主計局の権限と、国会議員の国政調査権の管理下にある。公営賭博のテラセンは、それらの管理が及ばない。
    2. 護送船団方式下の銀行は「インキュベイター」になれない。安全第一だからだ。財閥を解体し、不在地主も解体すれば、「エンジェル投資家」も存在し得ない。両者とも、「ベンチャー投資の枯れ葉剤」という側面を持つ。

「名伯楽」はこの全てに関与する。「名伯楽」は「名伯楽である」ダケでは足りない。「名伯楽」は、「チカラ」を持っている必要がある。それは地位でもカネでも名声でも構わない。おそらく1950年代の「カスミガセキ⎯トラノモン」ラインは、この全てを兼ね備える全能集団だったのだろう。

ところで『重工業局長』が『錬金術』使ったら、やはり「鋼の錬金術師」と(だまれ。
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なお、「GHQ以前のインキュベイション投資」には大きく2つの系統がある。

  1. 華族・財閥・不在地主などの富裕階級:「階級」ではあるが、「自己責任原則を徹底する古典的な自由主義」は、ビル・ゲイツみたいな「成り上がり」も多く生む。私益追求の上手が公益に本気になると、容易には分類し難いハイブリッド構造が生まれる。最も成功した例は、澁澤栄一の呼びかけで発足した「財団法人・理化学研究所」だろう。皇室下賜金、政府補助金、民間寄付金で設立された「理研」は、先端研究を次々に事業化して利益を上げて行った。もちろん「財団法人」に「配当や、株価の上昇を求める"株主"」は存在しない。利益は研究に再投資され、それがさらなる新事業を生み、その過程で育った「バクチ上手の研究者たち」は、「理研コンツェルン」と呼ばれる新興財閥を形成して行った。
  2. 「科・軍・産 複合体」:陸軍系と海軍系に分断はされてはいたものの、造船、鉄道、発動機、エレクトロニクスなどの始祖鳥類のみなさんは、陸海軍系の先端研究所に籍を置いているケースが多い。短期的にモノになるバクチは民間が勝手にやり、中期的なものは理研がカバーできるなら、「国のお金」は、それらがあまりカヴァーしない長期的な、あるいはブッ飛んだ方向にも手を伸ばせる。この部分も現在のアメリカで言うと、DARPAが種を播き、NASAが苗を育て、軍需が次の種代を稼ぐ」みたいな。

GHQ改革は、この2系統を的確に叩き潰している。そこを埋めようとしたのが戦後の公営賭博なワケで、やっぱハガレンすげぇ(だまれ。

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但し、10Q2現在の「カスミガセキ⎯トラノモン」が「名伯楽」かというと疑問がある。

  • イ)およびロ)の能力については、既存の産業構造と結合して、新興産業の芽を摘む例が目立つ。
  • ハ)についても、「競輪資金⎯IPA」などの資金の流れは、さながら「荘園」のようだ。

ホントはオレ佐橋滋さんとか平松守彦さんとか大好きなんだけど、半世紀後の「鋼の錬金術」は、「官僚内閣制を支える12政党の資金源」になってねぇかと思う。「なにがなんでもこの産業、モノにしなければ日本は沈む!」ちゅ気迫がない場合、「自由になるお金」は、タガが外れ易い。
実際のところ、霞ヶ関の官僚は、公営賭博のアガリを「自分のオサイフ」と呼ぶ。『政府から回ってくる公的資金』ではないので、国会や財務省には、口を出す筋合いがないからだ。この部分は、「仕分けの裁き」という、法律上の位置づけが曖昧なメス(ほとんど「非合法」と言ってもいい)でも用いなければ、上面を引っ掻くことすら難しい。