ニ.税金と文化輸出は混ぜるなキケン!

〜情緒産業は「ばかにはみえないふく」だが、納税者は「馬鹿でも判る結果を求める」件。

そこで生存戦略のひとつとしての「韓流押し」ですが、ここではちょいと趣向を変えて「ソフトパワー輸出全般」について書いてみます。

実は戦前にも映画輸出で日本の国際的地位を高めよう!そのための映画をつくれ!という議論があったようです。これに対して、当時の映画カントクが結構なファイナルアンサーを出してるのを見つけました。

 いま、日本の政治は何より映画の国際性を利用しようと焦つているのであるが、ここで特に為政者に深く考えてもらいたいことは芸術においては国際性というものはむしろ第二義の問題だということである。しからば芸術における第一義の問題は何か。他なし。芸術の第一義は実に民族性ということである。
 諸君はハマモノという言葉を知つているであろう。いい換えれば横浜芸術である。民族に根ざし、民族に生れた芸術が、自己の民族に対する奉仕を忘れて国際性を第一義とし、輸出を目的とした場合、それはたちまちハマモノに転落し国籍不明の混血児ができあがるのである。「新しき土」はその悲惨なる一例である。この種のものは芸術国日本の真価を傷つけこそすれ、決して真の意味の政治に役立つはずはないと私は今にして確信する。
 くり返していう。芸術は何よりもまずその民族のものである。したがつて自己の所属する民族に奉仕する以外には何ごとも考える必要はない。いな、むしろ考えてはならぬのである。自己の民族への奉仕をまつとうし、民族芸術としての責務をはたしたうえ、さらに余力をもつて国境を越えて行くなら、それはよろこばしいことであるが、最初から他の民族への迎合を考えて右顧左眄し始めたらそれはすでに芸術の自殺である。

日頃から「ソフトパワー輸出」とかうさんくさいなと思ってる方なんですけど、改めて読み返して、我が意を強くしました。日本のアニメが世界で売れた理由など、たった一つでしかありません。

デンパキチの潤沢な資金が作り捨てた大量のサクヒンを、チャンネルビッグバンで番組不足になった国々に、二束三文で売り渡したからです。この時期に、米国資本のCATV/衛星TVは、雁行的にEU各国にも進出、ほとんど国営放送しかなかった国々の文化に激烈な影響を与えています。そこで刷り込みを受けたガキどもが、ソレ無しでは居られない身体に〜いやゲフンゲフン、立派なオタクに育ってくれました。

ジョゼフ・ナイよりはるかに早く「オタク安全保障w」などとハッタリをかましていた第一世代(R50)や第二世代(R40)のオタクさんたちは、自分たちがオタクとしてオタクらしく生きて行ける「オタク・レーベンスラウム」が確保できればそれで充分だったのぢゃないかと思います。各々のサクヒンがオタク芸術としての責務をはたしたうえ、さらに余力をもつて国境を越えて行くなら、それはよろこばしいことですが、毛唐に「ソフトパワー」言われて舞い上がるカタギなど、鹿鳴館の猿のようなものです。

もちろん。せっかく育ったジャンキーどもいや、海外のオタク市場を見捨てる事などできはしません。ただし、調子に乗ってガンガンいっとくと、きっと痛い目に合うでしょう。