ホ)70体制が持たない理由

個々の政策がどうこう以前に(aka.民主を支持するにせよしないにせよ)、70体制は持たない。本質的に、「世界の工場化を果たした日本で、その果実を分け合う為のシカケ」だから。

ホの1)冷戦後の挑戦者

まず日本はもはや「世界の工場」ではない。1951の朝鮮戦争から1991の冷戦終結までの間、日本は「西側自由貿易体制」の中で「最強の加工貿易国」の地位をほしいままにしてきた(冷戦景気)が、冷戦終結で「鉄のカーテンが消失」した結果、「せかいのはんぶん」が新たな挑戦者としてあらわれた。

これがいわゆる「グローバリゼーション」の正体である。
この状況の中で「技術で追いつかれればその先へ逃げるだけ」といっても、そこには米ロのベスト&ブライテストが必死になっている。かつてほどの差はでない。さらに、それが上手く行こうが行かなかろうが、製造雇用は流出してゆく(and/or 移民が入ってくる)。かつてほどの国内雇用を生む事はない。

民あっての国であり、国あっての民ではない。日本国に住む人々が豊かに暮らしてゆく為には、「製造や技術革新とは異質なイノベーション」が必要だろう。

ホの2)脱・工業化の不調

70体制の本質は「世界の工場化を果たし、その果実を分け合うシカケ」である。
この中で農業政策〜これは本来、絶大な国際競争力を発揮し得る基幹産業だが〜が「保護」を基調とするのは珍しい事ではないが、日本の場合は「農業保護」ではなく「農家保護」に傾き、その為の資金分配・集票マシンとして農協を強化した。結果、「農家栄えて農業ほろぶ」あるいは「農協栄えて農業ほろぶ」に至った可能性が高い。
また各種のサービス業は、「工業発展のインフラ」として最適化されている。別の言い方をすれば、有形無形の規制でがんじがらめとなり、そのポテンシャルを抑えられている。

ホの3)人口オーナス


↑コレを男女別に「ひらき」にするとこうなる。↓

1930 ←人口ボーナス期→
 1951←冷戦景気→
1990 ←人口オーナス期→ 2050
社会に占める
稼ぎ手の割合↑
扶養家族の割合↓
社会に占める
稼ぎ手の割合↓
扶養家族の割合↑
多産多死
人間五十年
      少産長寿
人間九十年

冷戦景気の期間中、日本は「社会に占める働き手の割合が増え続ける」人口ボーナス期にあった。団塊世代団塊ジュニアの人口の山を抱えた社会では、経営戦略でも人材育成でもマーケティング戦略でも、福祉や年金などの様々な制度設計に於いても、ねずみ講」が可能である。
バブル崩壊の90年代を境に、日本は「社会に占める働き手の割合が減り続ける」人口オーナス期に入っている。アラフォー(グラフ中のR40)やアラサー(同)が、R20を指して「若者のXX離れ」を嘆く事は、これだけでも意味がない。

ホの4)アウトサイダー(aka.まつろわぬ民)の増殖

非・終身雇用層の増加。近年では非・正社員の比率は、40%に達しているという。ホの1〜3)の状況に劇的な変化がないかぎり、いずれは過半数を超えるだろう。この層の増加は、第一民意線の民意収集力を低下させる。その結果、既存の省庁が錬成する政策や法案は「民意の近似値」から乖離してゆく、すなわち「12省庁連立政府の政策」は「妥当なものではなくなってゆく」。これは「事実上の政党」が抱える構造の問題であり「なかのひと」の優秀さや清潔さとは関係がない。

非・記クラ芸の増加。ネット類の普及がもたらす報道の多様性は、「政官報・鉄の三角形」の洗脳力低下をもたらす。これも構造の問題であり、「なかのひと」の優秀さや清潔さとは関係がない。

ビジネスモデルのイノベイターの増加ホリエモン村上ファンドを退けても、楽天ソフトバンクモバイルは残っている。好むと好まざるとに関わらず、これらは「工業発展のためのインフラ」として国策で整備され、非効率なままにおかれた分野の生産性を向上させる効果を持っている。

ほかに1970体制の中で「まつろわぬ民」の扱いを受ける層としては、「減反やぶりの米農家」「全酪を通さずに牛乳を出荷する酪農家」、「消費者・生活者」などが考えられる。

いずれにせよ70体制は持たない。本質的に、「世界の工場化を果たした日本で、その果実を分け合う為のシカケ」だからだ。