単線型学制と複線型学制
- 2011-11-19:asahi.com(朝日新聞社):ユニクロ、新卒一括採用を見直しへ 大学1年で採用も
カジュアル衣料最大手のユニクロを展開するファーストリテイリングは、来年にも大学新卒の一括採用を見直す検討に入った。従来の慣行にとらわれない採用方式が、企業に広がる可能性がある。柳井正会長兼社長が朝日新聞のインタビューで明らかにした。
現在、同社は国内では年1回採用を行っている。新しい方法では、採用時期を通年とし、選考する学年も問わない方式を検討している。柳井氏は「一括採用だと、同じような人ばかりになる。1年生の時からどういう仕事をするか考えて、早く決められる方がいい」と話す。
具体的には、1年生の時点で採用を決め、在学中は店舗でアルバイトをしてもらい、卒業と同時に店長にするといったコースが想定されるという。
『1年生で採用を決め、店舗でバイト、卒業と同時に店長に』という想定モデルは、
- まず。学費稼ぎと生活と学業が安定する一方、就職活動と就職留年の時間が省ける。と思った。
- さらに。ココに流通科学大あたりがノって、師範学校/士官学校化すると、学制が複線型教育に?と思った。
- もしソコまで行けば。戦後式の強力な単線型学制〜およびソレが育んできた意識〜を揺さぶる対案になる鴨な。と思った。
一、
大正年間から太平洋戦争初期までの学制は、現在の学制と異なりグチョグチョ。複線型教育と言うらしい。ちょー複雑なのだが、青空文庫でこの時代の小説を読んでると、いまいちキャラとのシンクロ率が上がらない。
モッタイナイのでざっとWikipediaで上っ面を引っ掻いてみると、12~4歳で義務教育(尋常小学校)を終えた後は、将来の希望(或いは親の資力と本人の資質)に応じて随分とバラけていたようだ。
わけがわからないw。世の中いろんな生業があるので、それぞれの業界の需要に即して其々の業界が、マメに職人学校や経営者養成所を立ち上げていった結果であるらしい。この先に帝国大学のような「ユニバーシティ」と、文理大、商科大、商業大、工科大、工業大、医科大などの「カレッジ」があるが。もうなんか分岐しまくりでやっぱりわけがわからないw。
さすがにコレは当時の人にとっても複雑すぎたようで、戦中末期に中等教育の年限が短縮され、戦後すぐに中学までが義務化され、今日の『強力な単線型教育』が確立している。
つったって「創立以来の伝統的な校風」は残るものだし、その後のアップデートで徐々に複線型教育に近づいたという声もあるようだが、この戦後式の単線型学制〜およびソレが育んできた意識〜というのは、近年でも「農大や農業高校を描くこと」それ自体が漫画のとっかかりになるほど普遍的なものだ。
※もちろんコレらは「舞台装置として珍しい」から、漫画家サンに選ばれるわけで、それは旧制第一高等学校の寮歌を題に採った少年小説家も同じだろう。
ニ、
裏返すと、今回のユニクロの試みは、「青田買いだ!」とか「大学の意義というものを!」みたいなアレを受けるのだろう。おお。受けとる受けとる(はてなブックマーク)。しかし…構想だけで不買を言うほどイデオロギッシュなこととも思えんが。
ええやんか。別にユニクロが18,9から店長候補を育てたって。たかが一企業の話だ。もしも学生さんが流通経済大学や、流通科学大学で学んで下さるのなら、なおさら結構な話〜就職をゴールではなくスタートと考えるなら、その前の訓練の蓄積がモノを言う〜になると思うが、もちろんユニクロ側も『同じような人ばかり』は取りたくない。そうした学生さんも、学費稼ぎと生活と学業が安定する一方、就職活動と就職留年の時間が省ける。客良し(就職)、店良し(採用)、世間良し(学業修了)。三方良しというものではないかなこのアイデア。
それとも柳井社長が「手前どもの分際に応じた精一杯の罪ほろぼしでごぜぇます」とでも言わねばナニカが満たされないのだろうか。
三、
話は変わるが、過去20年で国公立大学は大学数・学生数ともに倍増し、大学進学率は50%を超え、全入時代が言われるようになって久しい。
ならば「大卒」や「教授」、あるいは「大学の意義」は、「継続的なサイコソーシャル・デフレーション(社会的・心理的な価値の下落*1)」の下にあると見るべきだろう。 有象無象の区別なく、水道の哲学は赦しはしない。
産業人の使命は貧乏の克服である。その為には、物資の生産に次ぐ生産を以って、富を増大しなければならない。水道の水は価有る物であるが、通行人が之を飲んでも咎められない。それは量が多く、価格が余りにも安いからである。産業人の使命も、水道の水の如く、物資を無尽蔵たらしめ、無代に等しい価格で提供する事にある。それによって、人生に幸福を齎し、この世に楽土を建設する事が出来るのである。松下電器の真使命も亦その点に在る。
水道の水の如く、大学を無尽蔵たらしめれば、価格は無代に等しいものになる。これによりこの世に楽土が建設されたらその先は、「差別化」や「特色ある製品開発」が必要になるわけだが、往々にして「供給者側のかんがえるイイモノ」に満足できない顧客は「ボクの考えるイイモノへの魔改造」を試みる。
ところで『水道の水は価有る物』であるが、ガクモンの価値は「莫迦には見えない服」である。日本の大学が、その価値を解する善男善女の喜捨浄財ではなく、国民の税金によってキノコりたいなら、いま手をうたなければ、次の20年で「ソレ自体がモラトリアム」と見做す勢力が増えてゆくだろう。もはや「過去の現実歪曲フィールド」が通用する事は考え難い。ハダカノオウサマメンタリティは、イノベイトされねばならない。
四、
方向性は2つある。
ゲンジツには単純な2軸分立に分かれるのではなく、両者を思い思いにブレンドした存在が、xy平面上で生き残れる場所を探しておられる途上かと思う。
ナニカの業界に特化する方向もあれば、マネージメントのようなプロ養成に特化する学校もあれば、「白眉研究者を選抜する伯楽プロジェクト」みたいな高々とした見栄を切って特攻してゆく向きもあるだろう。
蛇足ながら。上記は一軸上にならぶ「二極化」ではない。それは現状を、東大を頂点とする一軸序列化と言い切るのと一緒だ。上段は「課題やテーマを発見してゆく方向」、下段は「課題解決を研究・てほどきする方向」という感じだろうか。
*1:勝手な造語