アラン・ケイのダイナブック構想について

コンピユータは、楽器のような役割を果たす。
ソフトウエアは楽譜にあたる。
それを演奏したものは、人間の能力を増幅し、精神を高める。

ダイナミックメディア(メタメディア)機能を備えた「本」のようなデバイスという意味で、ケイが1972年に著わした「A Personal Computer for Children of All Ages」に登場する(なお、このときの表記は商品化を想定した「DynaBook」。後に一般名詞を意識してDynabookと改められる)。

ケイの構想したダイナブックとは、GUIを搭載したA4サイズ程度の片手で持てるような小型のコンピュータで、子供に与えても問題ない低価格なものである。同時に、文字のほか映像、音声も扱うことができ、それを用いる人間の思考能力を高める存在であるとした

また、構想の時点ですでにネットワークやマルチフォントに対応することが想定されており、実際、その後作られた暫定的な実装(後述)にも、今でこそ当たり前だが当時としては斬新なマルチウインドウやメニューなどと共に取り入れられた。1977年の「Personal Dynamic Media」という論文に実現されたそれらの機能の詳細が記されている。

こうしてケイらがXEROXパロアルト研究所在籍時に「暫定ダイナブック」と称して開発したのが、SmalltalkGUIベースの オペレーティングシステム に用いて動作させていた Alto で、1979年末にこれを見たスティーブ・ジョブズが Lisa 、そして Macintosh を開発するきっかけとなったとされる。

iPadは、概ね黄色下線部の条件を満たす。「A Personal Computer for Children of All Ages」という意味では、恐らく既存の全てのデバイス/OSを凌ぐ。繰り返すがSDだのUSBだのマルチタスクだの、あんなもん「邪魔」だ。
ただし、以下の部分を満たしているかと言うと、ちと疑問は残る。

ダイナブックというと、小型で安価、直感的なUIを持ち、マルチメディアが扱えれば実現可能といった安易な解釈があるが、これらだけでは十分ではない。「A Personal Computer for Children of All Ages」における記述や、その暫定実装においてSmalltalkをOSに据えていることからも明らかなように、そのシステムは、エンドユーザーが理解できるシンプルで均一なルール(メッセージング)と要素(オブジェクト)で構成され、このシステム自体をもユーザーが自由な発想で再定義できる柔軟性や可塑性を持ち合わせていることも肝要である。特に最後の条件を満たすOSはまだない。

駄菓子菓子。
iPadファミコンだとしたら?
ファミコンでゲームにハマり、その中から「オレもゲーム作りてぇっ!!」ちゅガキどもが出て来たとしたら?
iPadでナニカにハマり、その中から「オレもナニカ作りてぇっ!!」ちゅガキどもが出て来るとしたら?
猊下は「楽譜を創る者」と「創らざる者」を切り分けようとしているのだとしたら?