イ)事実上の政党

中央省庁は事実上の政党である。管掌分野を「支持基盤」とする生業ギルドだ。

図中の「はたらくおじさんの民意」は、実質的に「管掌範囲の終身雇用・ケイレツ・モチアイの民意」である。主な特徴は以下の通り。

  1. 「はたらくおじさんの民意」を集約し、そこから政策・法案を精錬する。
  2. 「餅は餅屋」。管掌分野に関する限り、見事な政策・法案を錬成する。
  3. 全体として、下手な政党より遥かに政党らしい構造。
  4. てゆうか「終身ケツモチは、浮動しない」。下手な政党より遥かに堅固な構造だ。

ロ)事実上の内閣

事務次官会議は事実上の連立内閣である。

内閣府の役割は、首相の資質で大きく異なる。

  • 小泉内閣では「官邸主導」のキーファクターとして12省庁の頭を抑えた。
  • 小鳩政権は事務次官会議を廃したが、事務次官までは踏み込めなかった。
    • また政策調査会を廃し、陳情を党に一本化する事で、A)「官僚による族議員化教育」を防護し、B)「小沢派以外の派閥の形成」を抑止し、C)「事実上の政党の民意収集力」を奪いにかかった。
  • 続く仙菅政権では、「官邸の国家戦略室」の「省庁間の調整機能」を強化する方針が示されているが、これは人事次第で事務次官会議の代品になり得る。
    • また上記A~Cを全廃した。
    • これらは、外形的には「旧い自民党に戻した」という事だ。ナカミはもとより大差ない。

要するに、内閣府の機能は、首相(あるいは上層部のキーマン)の構造理解力、指導力、人事強制力で、どうにでもなり得る(ぶっちゃけ小泉純一郎さんと小沢一郎サン以外は、官僚内閣制の意味も怖さも理解していないように見える。両者は思想も手法も異なるが、官僚内閣制を潰しに掛かったという点では共通点があり、首尾も一貫している。)

ハ)70体制

上記イとロの合体構造は「事実上の政党政治」である(選挙で結果責任を問うシカケが欠けているのが大問題だが、「人民公社」くらいの「民主性」は備えている)。コレに対し、憲政上の議院内閣制は「タテマエ」である。このシカケは、所得倍増計画を達成し、田中角栄が首相に就任した1970年代に完成したと思われる。

  • 第一民意線:「事実上の政党」からなる「事実上の連立内閣」が、政策と法案のたたき台を錬成する。
  • 第二民意線:「与党」は、「族議員政策調査会」が「事実上の政党」にとりつき、「派閥と総務会」が「事実上の連立内閣」にとりつくシカケ。
  • 第三民意線:「野党」は、「国対政治」で第二民意線に取り付き、支持層の為の「譲歩」を獲得する「特殊な派閥」である。

第二・第三は、「第一民意線がとりこぼした民意」を補間する*1。全体としては、「国家総動員2.0+大政翼賛2.0=挙国一致2.0」と言える。ところで「挙国一致2.0」言うからには「大本営発表2.0」も欲しいw。

※なお、「仕分け」は、「事実上の政党政治」VS.「タテマエの議院内閣制」の権力闘争。と見る事ができる。

*1:明治憲法ぽく言うと、第一民意線は、第二・第三を「輔弼」する。

二)鉄の三角形 x 3

70体制を、別の角度から〜「鉄の三角形」という言い回しを軸に〜整理する。

二の1)ダブル・トライアングル

  • 右の第一トライアングルは経済成長担当。外需、外征、戦地の兵。これがいわゆる「政官財」
  • 左の第ニトライアングルは所得移転担当。内需、内功、銃後の護り。これがいわゆる「政官業」

右で稼いで、左へ回す。

二の2)マスコミのATフィールド

しかしてこの「ダブルトライアングル」の中を流れるヒトモノカネの動きは、存外に見えにくい。日本にはこういうもんがあるからだ。

構成要素は以下の通り。

細かく書くとえらい長くなるが、大筋では日本の報道は「横並び」で「バラエティに乏しい情報」が「全国通津浦々までとどく」。

二の3)政官報・鉄の三角形

してみると「第三の鉄の三角形」として、「政官報」がありそうだ。

これは「大本営発表2.0」に擬せられるかと思う。もちろんこれは構造の問題であり、「なかのひと」の優秀さや清潔さとは関係がない。「政官財」や「政官業」の「なかのひと」も自意識の上では優秀であり、清潔なことだろう。

ホ)70体制が持たない理由

個々の政策がどうこう以前に(aka.民主を支持するにせよしないにせよ)、70体制は持たない。本質的に、「世界の工場化を果たした日本で、その果実を分け合う為のシカケ」だから。

ホの1)冷戦後の挑戦者

まず日本はもはや「世界の工場」ではない。1951の朝鮮戦争から1991の冷戦終結までの間、日本は「西側自由貿易体制」の中で「最強の加工貿易国」の地位をほしいままにしてきた(冷戦景気)が、冷戦終結で「鉄のカーテンが消失」した結果、「せかいのはんぶん」が新たな挑戦者としてあらわれた。

これがいわゆる「グローバリゼーション」の正体である。
この状況の中で「技術で追いつかれればその先へ逃げるだけ」といっても、そこには米ロのベスト&ブライテストが必死になっている。かつてほどの差はでない。さらに、それが上手く行こうが行かなかろうが、製造雇用は流出してゆく(and/or 移民が入ってくる)。かつてほどの国内雇用を生む事はない。

民あっての国であり、国あっての民ではない。日本国に住む人々が豊かに暮らしてゆく為には、「製造や技術革新とは異質なイノベーション」が必要だろう。

ホの2)脱・工業化の不調

70体制の本質は「世界の工場化を果たし、その果実を分け合うシカケ」である。
この中で農業政策〜これは本来、絶大な国際競争力を発揮し得る基幹産業だが〜が「保護」を基調とするのは珍しい事ではないが、日本の場合は「農業保護」ではなく「農家保護」に傾き、その為の資金分配・集票マシンとして農協を強化した。結果、「農家栄えて農業ほろぶ」あるいは「農協栄えて農業ほろぶ」に至った可能性が高い。
また各種のサービス業は、「工業発展のインフラ」として最適化されている。別の言い方をすれば、有形無形の規制でがんじがらめとなり、そのポテンシャルを抑えられている。

ホの3)人口オーナス


↑コレを男女別に「ひらき」にするとこうなる。↓

1930 ←人口ボーナス期→
 1951←冷戦景気→
1990 ←人口オーナス期→ 2050
社会に占める
稼ぎ手の割合↑
扶養家族の割合↓
社会に占める
稼ぎ手の割合↓
扶養家族の割合↑
多産多死
人間五十年
      少産長寿
人間九十年

冷戦景気の期間中、日本は「社会に占める働き手の割合が増え続ける」人口ボーナス期にあった。団塊世代団塊ジュニアの人口の山を抱えた社会では、経営戦略でも人材育成でもマーケティング戦略でも、福祉や年金などの様々な制度設計に於いても、ねずみ講」が可能である。
バブル崩壊の90年代を境に、日本は「社会に占める働き手の割合が減り続ける」人口オーナス期に入っている。アラフォー(グラフ中のR40)やアラサー(同)が、R20を指して「若者のXX離れ」を嘆く事は、これだけでも意味がない。

ホの4)アウトサイダー(aka.まつろわぬ民)の増殖

非・終身雇用層の増加。近年では非・正社員の比率は、40%に達しているという。ホの1〜3)の状況に劇的な変化がないかぎり、いずれは過半数を超えるだろう。この層の増加は、第一民意線の民意収集力を低下させる。その結果、既存の省庁が錬成する政策や法案は「民意の近似値」から乖離してゆく、すなわち「12省庁連立政府の政策」は「妥当なものではなくなってゆく」。これは「事実上の政党」が抱える構造の問題であり「なかのひと」の優秀さや清潔さとは関係がない。

非・記クラ芸の増加。ネット類の普及がもたらす報道の多様性は、「政官報・鉄の三角形」の洗脳力低下をもたらす。これも構造の問題であり、「なかのひと」の優秀さや清潔さとは関係がない。

ビジネスモデルのイノベイターの増加ホリエモン村上ファンドを退けても、楽天ソフトバンクモバイルは残っている。好むと好まざるとに関わらず、これらは「工業発展のためのインフラ」として国策で整備され、非効率なままにおかれた分野の生産性を向上させる効果を持っている。

ほかに1970体制の中で「まつろわぬ民」の扱いを受ける層としては、「減反やぶりの米農家」「全酪を通さずに牛乳を出荷する酪農家」、「消費者・生活者」などが考えられる。

いずれにせよ70体制は持たない。本質的に、「世界の工場化を果たした日本で、その果実を分け合う為のシカケ」だからだ。