都議会なんて飾りですか?

2010年第1回定例都議会 第三十号議案「東京都青少年の健全な育成に関する条例の一部を改正する条例」のスケジュールについて。

藤本由香里さんによると

2月24日に案が発表されて、都民が意見が言えるのは25日まで(つまり1日だけ)。
 議会での質問が許されるのは3月4日(代表質問)・5日(一般質問)だけで、これも数日前には質問を提出していなければならない。(つまり議員 でさえ、検討できるのは3日程度)
 で、18日の13:00の付託議案審査がもっとも重要で、今月末には投票、決定、ということになります。

との事。ずいぶんタイトやね。議案を叩くのが議会ちゃうのん?

などと白々しい事をほざきつつ、上記を『第28期東京都青少年問題協議会』のスケジュールと繋げてみる。

第28期東京都青少年問題協議会
摘要
2008.12.24 第1回総会
 委員名簿(PDF
 議事録(PDF
 諮問(PDF
第1回総会において審議事項を諮問
2009.01.30 第1回専門部会 議事録(PDF
2009.02.06 第2回専門部会 議事録(PDF
2009.02.17 第3回専門部会 議事録(PDF
2009.03.26 第4回専門部会 議事録(PDF
2009.04.24 第5回専門部会 議事録(PDF
2009.05.26 第6回専門部会 議事録(PDF
2009.06.25 第7回専門部会 議事録(PDF
2009.07.09 第8回専門部会 議事録(PDF
2009.10.15 第9回専門部会 議事録(PDF
専門部会にて
1)青少年とネット・ケータイをめぐる現状と課題
2)青少年を性的対象とする図書類のあり方
について分析・審議、問題解決の方向性を検討
2009.11.24 第1回拡大専門部会
 議事録(PDF
 答申素案 概要(PDF) / 全文(PDF
拡大専門部会において答申素案を審議
2009.11.26 東京都・パブコメ告知
2009.12.10 パブコメ募集締め切り
答申素案に対する都民意見を募集
2009.12.27 第10回専門部会 議事録(PDF
答申案を審議
2010.01.14 第2回(?)総会
 議事録(100316現在未公表)
 答申(PDF)/ 概要
 ※答申に関する告知
総会において答申を知事に提出
■都議会

2010.02.24 東京都、議会に条例改正案を提出
2010年第1回定例都議会 第三十号議案
東京都青少年の健全な育成に関する条例の一部を改正する条例」
2010.02.25 都民が意見が言えるのは25日まで
藤本由香里さん
2010.03.04 都議会・代表質問
数日前に質問書提出が必要(同上)
2010.03.05 都議会・一般質問
数日前に質問書提出が必要(同上)
2010.03.19 都議会総務委・付託議案決定

2010.03.30 都議会本会議・会期末

2010.10.01 施行(予)

都議会なんて飾りです。本当の議案錬成は、青少年問題協議会で起きてるんだ!…てとこすか?

東京都青少年問題協議会」は、都知事の諮問機関。知事の「諮問」を受け、協議の上「答申素案」を作成し、パブコメを受けた後、知事に対し「答申」を提出した。同協議会の時間はまる1年。都議会の時間はまる1ヶ月。どちらが『ホントの Lawmaker(議員=法製造の職人)』?スケジュールの点からは前者だろう。

※なお、類似品に「東京都青少年健全育成審議会」が存在するが、こちらは優良映画の選定と不健全図書の指定を主としている。

10Q1現在、都議会で審議中の「非実在青少年」を含む条例案は、本協議会の答申『メディア社会が拡がる中での青少年の健全育成について』に基づき起案されたと思われる。よりゲンミツには。専門部会の議論と併行して、都庁の役人さん(と、オプションで警視庁のお巡りさん)が錬成したと思われる

協議委員の人選プロセスが「知事の任命」なのは問題ない。知事の諮問機関だから。知事の意向を汲んだ答申が出るのも、それを受けた改正案が出るのも問題ない。都が提出する改正案だから。

しかし、このスケジュールの非対称性は、行政と立法の分立という点から問題なしとしない。一部都議会議員が非専門委員として総会と拡大専門部会にのみ参加し、最終的な答申案をチェックしている点も、行政と立法の分立という点から問題なしとしない。議院内閣制ならいざ知らず、都道府県は首長公選制だからだ。行政と立法は、より厳しく相互チェックする関係であって頂かねばならない。さらに、日本の地方自治体には独立した司法権がない。行政と立法は、さらに厳しく相互チェックして頂かねばならない。そうでなければ、権力の集中しすぎで、統治がバランスを欠いたものになってしまう。

そのアンバランスが、本条例案への拒否反応となって噴き出しているのではないだろうか。児童保護の重要性、被害の悲惨さに目を奪われるあまり、他の利害に目がいってないのではないだろうか。それが「正義の反対は別の正義」を引き起こしているのではないだろうか。自分の理解では、そこのバランスを取る技術が法律や条例であり、その為の専門技術者集団が議員さん(Lawmakers)なのだが*1

XXなのは日本だけ!みたいな論法がお好きな方にはタマラナイと思うんだけどこのネタ。

都庁の役人さんが条例案を錬成するのは、都庁提出議案なのだから当たり前だが、おヒマな方は議事録PDFをざっと舐めてみて頂きたい(18歳未満にはお勧めしません。心がささくれるから!)。事務局が「前回の議論にはありませんが」とかなんとかいいつつ「今後の進め方の一案という事で、ご参考までにこういう論点も盛り込んでみました」とかなんとかペーパーを配布している箇所がいくつか、ある。概ね月一回の会議の合間に、他府県の事例調査、関連業界・団体へのヒアリング、参考資料作成と大車輪だ。…ぶっちゃけていうと、寄せ集めの有識者会議など事務局次第でどーにでもなる。

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当協議会で「配布・回覧された資料」は公開されていない。事の性質上、公開に相応しく無い資料がある事は想像に難くないのだが、その結果、議事録を読んでも討議内容はパワポのプレゼンをラジオで聞くが如しになっている。一方で、ベタウチ議事録の臨場感は高い。この結果、個々の委員の発言 〜ものすごい怒りを発するような事例を多々見聞きしておられるとは思うが〜 には怒りが充ちる事があり、時に疑問のある発言が脳に残る。

  • 漫画家達が凄い数の抗議メールを送ってきたのは、どう考えても暴力だ。
  • 子供に対する性暴力漫画を好む人達を放免とするのであれば、彼らは認知障害を起こしているという見方を主流化する必要があるのではないか。
  • こういった汚らしい過激な性表現を許すという事自体がおかしい。
  • アニメ文化やロリコン文化が性犯罪を絶対に助長している。
  • 何で実在しない児童だと許されるのか全く理解出来ない。
  • 何で反論している人の事まで考えなきゃいけないのか。
  • 説明や調査データを示す必要も無いくらい規制は当たり前の事だ。

冷静さを欠いた発言は目を引くものだ。議事録に残る場でそんな事言ったら、潜在的なミカタも敵に押しやってしまうのが、「当たり前」ではないだろうか。反対派の目を避ける為に情報公開を控えるみたいな発言や、都が動けば全国に波及するみたいな戦術論も散見されたが、頼むからそんな汚らしいウラバナシを公文書でダダ流しにせんでくれ。反対派を理解出来ず、考える事も放棄したら、どうやって条例改正を通すというのか。守りたいのは青少年なのかそれとも己のプライドか。

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青少年の健全な育成の為に、なんらかの規制を求める声が強まっている事は事実です。自分自身、ネットでも本屋でも、どうか思うようなビジュアルに眉を顰める事はあります。あれらが、青少年の目の届かないところに置かれべき事に異論はありません。なかんづく、実在児童保護の為に規制強化が必要な局面が増えて来ている事にも異論はありません。ざっとではありますが議事録を読んでみて、自分の想像以上に複雑で悲惨な実状を伺い知りました。その対処に日々苦慮して居られるみなさんには敬意を表します。

しかしながら。

上記発言群は、自分には正論・俗論いぜんに「情緒不安定の領域」に見えます。異論を暴力と呼び自らの「ただしさ」を押し付けるなら、それは独善と言うべきものです。反対者の言いぶんに耳を傾けないなら、それは独裁と言うべきものです。反対者に”病気”のラベルを貼るべしとの主張に至っては、ゲッペルスでも連れて来いとか皮肉のひとつも言ってやりたいところです。発言者達は、自らの「ただしさ」に酔うあまり、これらがデモクラシーの基幹に触れる発言である事に気付いていないように見受けられます。

これらは、青少年の健全な成長を願うオトナが、公の場で言うべき事ではありません。彼の人々の姿勢は、自分のアタマで考えるな。自分のココロで感じるな。と言うのとどれだけ違いますか。他人様に向かって「わたしの思う範囲から外れる事は赦さん」と言うのとどれだけ違いますか。

自分は児童保護に必ずしも無関心ではありません。しかしながら、かかる会議体の答申の下にできたルールには、策定者の想定外の大穴が開いてる可能性を危惧せざるを得ません。文言の上では問題がなくとも、かかる意識の下に錬成されたルールは、運用の段階でどう転ぶか懸念せざるを得ません。

東京都地婦連はネットとの縁は薄いが、「第2次世界大戦に向かう空気を知っている高齢の会員も多い。表現の自由や通信の秘密は何より守りたいという考え」(地婦連事務局次長の長田三紀さん)で、意見書に賛同したという。

「わたしのあたりまえ」と「だれかのあたりまえ」には、必ず違いがあるものです。人の世の不幸の多くは、「わたしのあたりまえ」を他人様に押し付けることから始まるものです。そこをわきまえた上で「望み得る最善」に向け汗を流すのがデモクラシーであると自分は考えます。表現の自由はその礎石となるものです。他のなにものにも代え難き金科玉条とは思いませんが、デモクラシーを支える大礎石であります。私の気が確かなら、表現の自由は全ての自由の母であり、他の自由を護る最後の砦であります。ごく少数の有識者に「みだりに」委ねべきものではありません。

「正義」の反対は「別の正義」であります。法律や条例は、そのバランスを取る為の技術であります。議員とは、その為の専門技術者であります。都議会議員の諸氏におかれましては、慎重なる判断を下されます事を期待します。

*1:その調整機構がうまく行かなすぎると「失敗国家」いわれるんだと思う。