2011/08/20付の記事について

11Q3フジ韓流騒動について気になる部分をだらだら書いてみます。なんかもうスンゴイ多元的な話な気がするんで。大枠はこんな感じです。

  • イ.日本型モチアイ・メディアのしくみ〜あるいは「持ちつ持たれつ・オーナーシップ」について
    • イの1)ヨアニサマ:日本型モチアイ・メディアの中心
    • イの2)一県一紙と一県一波:日本型モチアイ・メディアのれきし
    • イの3)記クラ芸とデンパキチ:日本型モチアイ・メディアの水源
    • イの4)日本型モチアイメディアの利点と弊害
  • ロ.チャンネルビッグバンとタイムシフト革命〜あるいは日米ソレゾレの生活習慣病について。
  • ハ.日本におけるメディアザウルスの黄昏〜あるいは世界の革命と生存戦略について。
  • 二.税金と文化輸出は混ぜるなキケン!〜情緒産業は「ばかにはみえないふく」だが、納税者は「馬鹿でも判る結果を求める」件。
  • ホ. 文化的ビルトイン・スタビライザー〜あるいはタタミゼとワパニーズと嫌韓流について
  • へ.民族に優劣などない。〜きっとナニモノにもなれないオマエタチに告げる。
  • ト:ふろく:緊急実施日本放送協会リストラ要綱

イ.日本型モチアイ・メディアのしくみ

〜あるいは「持ちつ持たれつ・オーナーシップ」について

上段が「中央モチアイ」、下段が「県域モチアイ」。

米国では新聞社がテレビ局を持つような事を「クロスメディア・オーナーシップ」と呼んで忌み嫌うのだけど、「日本のマスコミ」は、全国紙、地方紙、キー局、地方局がダマになって株を持ち合う「持ちつ持たれつ・オーナーシップ」になっている。以下長いので「日本型モチアイメディア」でひとつ。

要するに古典的な家電やクルマとよく似た、終身雇用・ケイレツ・モチアイ構造(終身ケツモチ構造)の亜種ですが、フジとテレ朝の違いは、見てすぐ判るというもんではないので、イメージしにくいのが難点です。

イの1)ヨアニサマ:日本型モチアイ・メディアの中心

「日本型モチアイメディア」の中核となるのは「日本型全国紙+在京キー局」からなる「中央モチアイ」です。拡大すると、ここは読売〜毎日までの大手5グループからなっています。なにやら邦画全盛期の五社協定みたようですが、ここではそれぞれのカシラ文字をとって「よあにさま」とする。ことにします。

クロスオーナーシップ (メディア) / 現在の資本関係- Wikipediaによると;

だ・そうですが、全国紙、地方紙、ラジオ局、キー局、地方局といったメディア産業の他にも、球団やら芸能事務所やら映画会社やらが入り乱れてワケワカメな感じです。

「よあにさま」を中心線とする国内マスコミの資本構造をパターン別に整理すると、

  • 1)子会社や関連会社、取引先などを経由する多段的な持株関係。
  • 2)キー局と地方局などのジャンル内ヒエラルキーくさい持株関係。
  • 3)全国紙と地方局、キー局と地方ラジオのようなインターメディア的出資関係。

などが入り乱れる複雑なモチアイ相関図が描けそうです。中心も様々で、全国紙をフリダシにキー局→地方局→地方紙と接続してゆくデイジーチェーン型や、ここ10年ばかりは持株会社を中心に新聞やTV局がぶら下がるスター型も増えています。多くは両者の複合型ですが、、、ひらたく言やぁ「うるわしきキンタマの握り合い」ってヤツでしょう。

一方で、毎日←→TBSのように、資本関係を解消していながら、役員の相互派遣は継続するなど、人的な紐帯(aka.癒着談合体質)を残すケースもあります。さらには朝日や日経のように、最終的に株主だれなんだと突き詰めると「創業家と従業員持株会の会社」としかいいようの無いものも存在します。こうなると「創業家をカシラに頂く従業員の生活協同組合」とか、あるいは中世のフィレンツェベネツィアや堺や比叡山のような「都市国家」という気もしないではありません。そういやお家騒動とかやってますわな。タマに。

いずれにせよ我々は、「明白な中枢を持たない5系統の、ゆるやかなメディア寡占」の中に居るようです。ところで「世兄様」と漢字にすると「世間の空気を形成するお兄様」のようだと思った。いま。

参考

イの2)一県一紙と一県一波:日本型モチアイ・メディアのれきし

恐らく。これは歴史的経緯によるものでしょう。ちと長くなりますが、左の縦わくが一県一紙、右の縦わくが一県一波。

一県一紙(40年体制)

1940年頃までに成立した挙国一致体制は、全国に無数にあった「有偏有党の新聞社」を、「不偏不党の全国紙」と「地元密着一県一紙」に整理した。言論統制の為とも紙資源節約の為とも言うが、過当競争から記者さんらの生活を守り、各県域に均衡ある報道産業が育つ条件を整え、あわせて報道の質的向上を企図した「産業構造のリストラクチャ」でもあったように思われる。なにやら大きなお世話な気もするが、とりあえず「記者稼業のくらしむきは安定」したようだ。

大陸の風雲が急を告げゆくこの時代。都市部に割拠する大新聞は、社用機と軍あがりのエースパイロットを駆使して「チキチキ!戦地の写真猛レース!!」を展開していた。一県一紙にそのチカラはなかったが、しかし舗装道路はおろかトラックすら珍しい時代の事だ。大手紙の側にも全国津々浦々に紙面を配達するまでのチカラはなかった。そこで彼らは全国の駅頭に「写真ニュース」を掲示して自社の宣伝(と、地元出身者の武勲おしらせ)に努めた。これは今日でも学校の掲示板などに残っているようだ(参考http://www.asahi-photonews.com/fromus/index.html)。

〜ここでは戦前戦後の区分は邪魔なのですっとばして〜

一県一波(角栄用水)

敗戦を経ても強力な行政指導体制は残存した。実は戦前の体制とは、戦争遂行の為である以前に、官僚主導で工業化を進めてゆく計画経済体制でもあったのだ。

50年代にさしかかると、日本でもテレビ放送の機運が高まってくる。これを受けた田中角栄率いる旧郵政省は、免許方針に「一県一波」を掲げて臨み、全国に「均衡あるテレビ局の発展」が立つよう目論んだ。

駄菓子菓子。新時代の報道などと気張ったところで、そんな情報商材に長けていたのはブンヤさんしかない。かくしてキー局は大新聞、地方局は地元紙の資本で設立される事になった。

ところがぎっちょん。全県にテレビ局を設けたところで、情報の東京一極集中がなくなるわけでもない。角栄さんが首相になって、東京のオカネを地方に流す用水路を整備(所得倍増計画の恩恵を全国に格差是正)するのは70年代に入ってから。かくして地方局は、キー局からニュース配信を受ける「全国ネット」に組み込まれ、都市部大新聞のニュースを全国津々浦々にデンパしてゆく事になった。

なにしろ日本型全国紙の発行部数は世界一です。コレに比肩する部数は旧ソ連プラウダくらいのモンだったそうで。いやはやなんとも誇らしい事ですな。たばりしち(同志)w。

国産娯楽番組の始祖鳥

ちなみに。国産娯楽番組が立ち上がるのもう少し先になる。もちろん黒柳徹子さんや手塚治虫さんのような好奇心の鎌足は既にこの頃から全力突撃しているが(徹子△)、娯楽はまずは米国からの輸入が主だった。これならば教養のため、教育のためと言い張れない事もない。今日では考え難いが、世間的にはまだまだコーキョーのデムパを娯楽に費消するなど恐れ多かったようだ。1964年になっても「広告を流さぬ科学教育専門テレビ」が生まれている(ちなみに…後のテレ東である(o;゚Д゚)!!)。

イの3)記クラ芸とデンパキチ:日本型モチアイ・メディアの水源



報道は記クラ芸ライン

左のシカケは、「政官財業報のピラミッド」。「政官財・鉄の三角形」とか「政官業・鉄の三角形」とか呼ばれるモンを貼りあわせて見た。頂点に「記者クラブ」が乗っている。いわゆる「ニュース」の多くは、この記者クラブが「問屋」になっている。

これらのクラブは、11Q3現在でも基本的には「日本型モチアイ・メンバーズカード」がないと入れて貰えない。この閉鎖性は、戦時統制の一環として生まれたものだが、なぜか戦後も残っている。そもそも記者発表やぶらさがりなんぞは「取材」とは言えないし、こんなシカケはノッケからスピンが掛かるに決まってるのだが、どうも原発事故を奇貨として、一層防備を固めたらしい。この結果。日本の報道は「親分!てぇへんだ!てぇへんだ!」が多く、「慌てるなぃハチ!」が少ない。

ハチの仕事は情報の伝達。英語で言うとインフォメーション。親分の仕事は情報の吟味。南蛮ではインテリジェンスと言う。ハチだけでは、かけてもつれたナゾが解けない。親分だけでは、かけてもつれたナゾが無い。

娯楽はデンパキチ

背景緑は娯楽番組。「デンパク→キー局→地方局」。みっつまとめて「デンパキチ」。大手広告代理店+キー局+地方局の統合体だ。電通の調べでは、最盛期には日本のTVCM市場は年間2兆を超えていたと言う。カネも情報も東京一極集中が変わらぬ限り、こーなるのが自然だろう。

民放の「全国ネット」は、元来はニュース映像を全国で融通し合う互助会だったが、皇太子ご成婚や東京五輪大阪万博など、華やかなイベント中継が人気を集める中で、徐々に「ここに娯楽番組のせてもいいよね?」という「世間様の空気」ができていった。

デンパキチの水源は、図の上段の「所得倍増でめぐまれた人々」。60年代を通じて「めぐまれた人々」の所得は倍増していった。デンパキチはソレ自体が「所得倍増から残された人々にオカネを回す用水路」でもある。ここに水を流すとあら不思議。内需が拡大するざんす。70年代を通じて「残された人々」もまた豊かになっていた。

このデンパキチが日々の娯楽の主役となった結果。日本の映像産業は「視聴率イノチの広告放送」が主流となり、視聴者は「良い番組は、カネを払って見るものだ」という生活習慣病を失って行った。

イの4)日本型モチアイメディアの利点と弊害

日本型モチアイメディア(世兄様)の利点

日本でデモや暴動が少ない理由を「お上意識」に求める風がありますが、戦後でも成田闘争や60年安保は存在しますし、戦前では普通選挙運動に米騒動や日比谷焼討、さらに遡れば秩父事件(地元では「秩父戦争」、古い人は「秩父のいくさ」と言います)というものもあります。

こうした政治的な大騒動が絶えたのは、1970年代以降の事に過ぎません。「馴致・宣撫・統治のどうぐ」と考えると〜つまり「お上の側から考えると」〜日本型モチアイ・メディアの威力は、結構なものだと思います。昭和31年度 年次経済報告には『長期的には中小企業、労働、農業などの各部面が抱く諸矛盾は経済の発展によってのみ吸収される。』とありますが、ソレで吸収できてる限りは、あまり大きな問題はおきないでしょう。

日本型モチアイメディア(世兄様)の弊害

一方で、"あの"産経新聞ですら「フジ韓流問題」を報じないというのはいささか奇異なものがあります。基本的には別に見なきゃイイだけの話ですし、大したネタでもないんぢゃないとは思いますが、

  • 新聞がテレビを批判すること、あるいはその逆のようなことを発言することに及び腰である[13]。
  • 新聞の腐敗、あるいはテレビの腐敗を報道しない、一種の情報操作の原因である。本来は再販問題の利害当事者ではないはずのテレビが再販問題について報じられなくなっているといわれる[1]。
  • 新聞やテレビの改革に関する報道に及び腰である。原口総務大臣外国特派員協会での会見で述べたクロスオーナーシップの禁止に関しても、当事者である新聞やテレビは一切報じていない。
  • テレビ局が新聞社の意向により動かされるなど、中立であるべきメディアが新聞社など上位企業の圧力を受けることになる。
  • メディア業界全体が護送船団方式のシステムとなり新聞以外の資本を持つ新規参入希望者を排除する原因である[14]。
  • ローカル局が地域密着を標榜しても、新聞社・キー局による一方的な支配のため独立性が損なわれており、実例としてフジテレビ『ワンナイR&R』による「王シュレット事件」で地元の福岡県のローカル局であり、福岡ダイエーホークス(現福岡ソフトバンクホークス)を応援していた放送局であるテレビ西日本王貞治を侮辱した放送内容について制作には無関係ながら放送したとして連帯責任を問われた。
  • 新聞社が、免許事業で権力の影響を受けやすい放送局を所有することによって、権力の影響を受けやすくなっている[1]。

ロ.チャンネルビッグバンとタイムシフト革命

〜あるいは日米ソレゾレの生活習慣病について。

ロの1)欧米では。テレビというのは数十〜数百チャンネルあるのが「ふつう」なようです。

  • 80年代:CATV(数十ch) :局→衛星→局→Cable→家
  • 90年代:DirecTV(数100ch):局→衛星→家

特に米国では、かなり昔からのようで、今世紀初頭には数十chのCATVを契約している世帯が約60%、数100chに達する衛星放送の契約世帯が30%程度。無料の地上波しか見てないのは、結構びんぼーか、3大ネットワーク時代のご老人、くらいのものなのだそうです。余談ながら、DirecTVというネーミングは、既にCATVを契約してたりで「おウチのシカケがアタマにあると」「オタクのハートをがっちりホールド」なんでねぇかと思います。

昨今の「フジ韓流プッシュし杉騒動」で、欧米を中心に「イヤなら見なきゃイイヂャナイ!」というご意見がありますが、ESPNやMTV、ディスカバリー・チャンネルやヒストリー・チャンネルといったものを有料契約して見るのが「ふつう」な人たちには、他を圧倒する世兄様の存在感は、ちょっと想像がつかない事かも知れません。

もちろん民族差別ちっくな言動は私としても不愉快きわまりないのですが、1)日本人のテレビ視聴時間は、OECD調査ではトップクラスであること。2)在京キー局5系統+NHK=最大6系統の選択肢の中で暮らしているのが「ふつう」であること。などを考えると、その中の一つが「ヤリスギ」た時の影響は、いささか重いものがあるでしょう。どうかすると「ブリオッシュなんざ見た事もねーよアントワネットさんよぉッ!!」てな調子で火にママレモンを注ぐ事にもなりかねません(なぜかよく燃える)。

根本的には、我々には「良い番組は、カネを払って見るもんだ」という生活習慣がありません。「テレビは無料があたりまえ」という、長年の生活習慣病が染み付いているのが問題だと思います。さらには、「デンパキチ」も「政官財業報のピラミッド」も、「数100chに視聴者が分散すると面倒」という利害を持っているのが問題だと思います。

ロの2)日米の「中流社会化」

映像産業の王様は、日本ではテレビですが、米国ではハリウッドです。

思うに。この違いは、日米それぞれが「中流社会になった時期の記憶」と重なっているのかもしれません。日米とも映画が人口に膾炙したのは1920年代、テレビの方も50年代と揃っていますが、日米では「中流社会の成立時期」に違いがあります。

フォードのような工業化・流れ作業は大量の工場雇用を産み、同時に農業人口を吸収することで機械化を促し、農業の生産性も向上させます。これにより、GDPが爆発的に伸びるだけでなく、国民一人あたりの可処分所得もズガドカンと炸裂する「中流社会」というものが生まれます。

米国でコレが起きたのは、概ね1910〜20年代にかけてです。世界初の「中流化」なのであまり明確ではないのですが、この時期は映画が見世物小屋の出し物(ニッケル・オデオン=5セント劇場のエログロナンセンス)から近代的な映画(概ね1時間以上でストーリー性を備えたもの)に進化を遂げた時期でもあります。中流になった人々は、本物のオデオン(劇場)へ本物のオペラを見に行くよりは、慣れ親しんだ映画に「自分たちに相応しい娯楽」になるよう求めたのかもしれません。

今日でも、映画とテレビの間には、流通でも制作でも押しも押されぬ厳然としたヒエラルキーがあります。映画館は「ジャスコあるところシネコンあり」てなイキオイですし、米人の年間映画にゆく回数は隔週かよ!てなほどに多く、料金もまたお安い。どうも米人の中には「良い映像は、カネを払ってみるもんだ」という生活習慣病が在るように思います。

日本が「中流社会」になり始めたのは60年代でしょう。そのへんの本屋に佃煮にするほど転がってる「写真で振り返る昭和」的なものを見ると、皇太子ご成婚や、東京五輪大阪万博など、高度成長の華やかさを人々に感じさせたのは、なんといってもテレビだったようです。カー・クーラー・カラーテレビが新・三種の神器と呼ばれたように、テレビは「中流階級になったしあわせを噛み締める道具」でもあったのだと思います。

今日でも、日本人のテレビ視聴時間は、OECD調査ではトップクラスですし、「きのう見た番組」というのは「こないだ見た映画」よりポピュラーな話題のひとつです。どうも我々の中には「良い番組は、無料で見れて当たり前」という生活習慣病が在るように思います。

  • 米人は「良い映像は、カネを払ってみるもんだ」
  • 我々は「良い番組は、無料で見れて当たり前」

手許では。ながらく「日本のアニメがこの先きのこるには米式に変化しなければ」と考えて来たのですが、どうもこうした記憶〜集団的な記憶というべきでしょうか〜は、「中流のライフスタイル」として長く残るものなんじゃないかと考えるようになりました。古人いわく。『わかっちゃいるけどやめられない♪』てなもんで。

趣味的には。平均的なアニメーターさんより平均的なテレビ局員さんの方が給料が高い。というのがどうもアンフェアな事に思えるので、手許では「生活習慣病」言い張りますけども。

ハ.日本におけるメディアザウルスの黄昏

〜あるいは世界の革命と生存戦略について。


仮に。情報革命がほんとうに「革命」であるのなら「持てる者から持たざる者へ」これが起きねばなりません。ここ10年ばかりの報道と娯楽をめぐるキーワードを思い出して見るに;

とまぁまぁ、ソンな感じです。なにやら「世界を革命するために」って気もします。

一方で、世兄様の台所事情は苦しくなる一方ではあります。

  • 新聞の読者が減ってしまった!
  • テレビの視聴者が減ってしまった!
  • デンパキチの広告費が減ってしまった!
  • 家電メーカーの海外シェアが減ってしまった!
  • 金融破綻で北米市場が減ってしまった!
  • 地デジ化投資があらわれた!

理由や事情がどうあれ、チャンネルビッグバンが進まぬところへ、地デジ化投資とイソターネッツの大波が一気に襲いかかってきたわけですから、なんらかの生存戦略が入り用な感じです。

ちなみに、電通さんの恐ろしいところは、3年ほど前に広告ビジネスの変化を読んでいた事です。この本だけならなんて事もないのですが、同じ頃に「日本の広告費」の調査費目を、屋外広告や出版物を拡張する形に組み替え、その後、組織編成も変えています。

ニ.税金と文化輸出は混ぜるなキケン!

〜情緒産業は「ばかにはみえないふく」だが、納税者は「馬鹿でも判る結果を求める」件。

そこで生存戦略のひとつとしての「韓流押し」ですが、ここではちょいと趣向を変えて「ソフトパワー輸出全般」について書いてみます。

実は戦前にも映画輸出で日本の国際的地位を高めよう!そのための映画をつくれ!という議論があったようです。これに対して、当時の映画カントクが結構なファイナルアンサーを出してるのを見つけました。

 いま、日本の政治は何より映画の国際性を利用しようと焦つているのであるが、ここで特に為政者に深く考えてもらいたいことは芸術においては国際性というものはむしろ第二義の問題だということである。しからば芸術における第一義の問題は何か。他なし。芸術の第一義は実に民族性ということである。
 諸君はハマモノという言葉を知つているであろう。いい換えれば横浜芸術である。民族に根ざし、民族に生れた芸術が、自己の民族に対する奉仕を忘れて国際性を第一義とし、輸出を目的とした場合、それはたちまちハマモノに転落し国籍不明の混血児ができあがるのである。「新しき土」はその悲惨なる一例である。この種のものは芸術国日本の真価を傷つけこそすれ、決して真の意味の政治に役立つはずはないと私は今にして確信する。
 くり返していう。芸術は何よりもまずその民族のものである。したがつて自己の所属する民族に奉仕する以外には何ごとも考える必要はない。いな、むしろ考えてはならぬのである。自己の民族への奉仕をまつとうし、民族芸術としての責務をはたしたうえ、さらに余力をもつて国境を越えて行くなら、それはよろこばしいことであるが、最初から他の民族への迎合を考えて右顧左眄し始めたらそれはすでに芸術の自殺である。

日頃から「ソフトパワー輸出」とかうさんくさいなと思ってる方なんですけど、改めて読み返して、我が意を強くしました。日本のアニメが世界で売れた理由など、たった一つでしかありません。

デンパキチの潤沢な資金が作り捨てた大量のサクヒンを、チャンネルビッグバンで番組不足になった国々に、二束三文で売り渡したからです。この時期に、米国資本のCATV/衛星TVは、雁行的にEU各国にも進出、ほとんど国営放送しかなかった国々の文化に激烈な影響を与えています。そこで刷り込みを受けたガキどもが、ソレ無しでは居られない身体に〜いやゲフンゲフン、立派なオタクに育ってくれました。

ジョゼフ・ナイよりはるかに早く「オタク安全保障w」などとハッタリをかましていた第一世代(R50)や第二世代(R40)のオタクさんたちは、自分たちがオタクとしてオタクらしく生きて行ける「オタク・レーベンスラウム」が確保できればそれで充分だったのぢゃないかと思います。各々のサクヒンがオタク芸術としての責務をはたしたうえ、さらに余力をもつて国境を越えて行くなら、それはよろこばしいことですが、毛唐に「ソフトパワー」言われて舞い上がるカタギなど、鹿鳴館の猿のようなものです。

もちろん。せっかく育ったジャンキーどもいや、海外のオタク市場を見捨てる事などできはしません。ただし、調子に乗ってガンガンいっとくと、きっと痛い目に合うでしょう。

ホ. 文化的ビルトイン・スタビライザー

〜あるいはタタミゼとワパニーズと嫌韓流について

ジャポニズムとタタミゼ:19世紀末から20世紀初頭にかけ、パリで日本の文物を有難がるジャポニズム(日本趣味?)なる風俗が流行りましたが、その流行にノった人々を「タタミゼ」と言うそうです。ジャポニズム自体は美術史上の画期らしいのだけど、ちょっとタタミゼは「なんなのあいつら?」的なニュアンスがありそうな気がないでもありません。

アニメとワパニーズ:20世紀末から21世紀初頭にかけて、欧米を中心に、アニメなど日本のポップカルチャーを有難がる層が拡がっていますが、これを不快に思う人々は彼ら(彼女ら?)をワパニーズと呼んでいます。これは、Wants to be RockStar だの Wants to be MovieStar だのを、一個にまとめたワナビーズ(Wants to be たち)と掛けたもので、平訳すっと「なりたがり」なのですが、そこに「夢があってイイぢゃないの」的なニュアンスはありません。「きっとナニモノにもなれないオマエタチに告げるッ!!」のが近いと思います。

作用と反作用:自分は、これらはごく自然な反応だと思います。ある社会の中で文化的な多元化が急速に進む場合、平衡を取り戻そうとする「ココロの動き」が出てくるのは、作用と反作用のようなものだと思います。人間の身体が恒常性を保とうとするように、文化もまた、ビルトイン・スタビライザーを持っているものです。

若者のXX離れとゲーム脳の恐怖この事は、同一文化に属す旧世代と新世代の間でも起こります。「ゲーム脳の恐怖」や「若者のXX離れ」なんか、結構いい例だと……いいぢゃねぇか別に今時のワカモンだってアレはアレでアレなりに一生懸命生きてんだから。…たぶんw。

嫌韓流流入してくる文化が異民族だったり異人種だったりすると、さらに話が難儀になります。「嫌悪感の表明」が、人種差別や民族差別の色彩を帯びがちだからです。しかし間違えてはイケマセン。例えコトバがなんであろうと、底にあるのは「不快感」、ややもすると「アイデンティティ喪失のキョーフ」です。すんごく大げさに誇張して言うと「あたしがあたしでなくなるぅッ!」といったところです。

差別は克服せねばならないのはもちろんですが、この恐怖を、地に足のつかないリベラリズムで消し去る事はできません。ムリに口を封じれば、より酷い形で吹き出すでしょう。

2010/03/30:朝日:「原爆2個では不十分」 ネットに米州議員
【ニューヨーク=田中光】米北東部ニューハンプシャー州のニコラス・ラバッサー州下院議員(26)=民主党=がインターネットの交流サービス「フェースブック」の自分のページで、「アニメは、原爆2個では十分ではなかったことの最たる証拠だ」とコメントし、猛反発を買った。
同議員はすぐ謝罪し、ページは削除された。議員は特にアニメ批判などで知られているわけではなく、どういう文脈での発言か不明だが、ネット上では、米アニメファンらの怒りが広まっている。
地元テレビ局の報道などによると、ラバッサー議員がコメントしたのは24日。
保守系のサイトも「アニメを見たくないという理由だけでもっと日本人を殺すべきだと言っているようなもの」と批判した。
同議員は「コメントの無神経さに深く謝罪したい。公私を問わず適切な発言ではなかった」と謝罪したが、米アニメファンのブログなどでは「人種差別だ」「アニメのことを本当に分かっているのか」といった反発の声があがっている。
ラバッサー議員は、地元の州立大学在学中の2006年に初当選。現在、2期目。
http://www.asahi.com/international/update/0330/TKY201003300232.html

※元記事消滅につき、リンク先は「カナ速にゅーす」

まず、ラバッサー議員が速攻で、かつ徹底的に誤り倒しているのは、潔い事だと思います。保守系のサイトも「アニメを見たくないという理由だけでもっと日本人を殺すべきだと言っているようなもの」と批判している事から、文化的多様性に対する寛容は、米国の屋台骨にも近いものなのでしょう。問題は、なぜそこまで酷い台詞を吐く前に、より穏当な形でアニメ〜あるいは外国文化に夢中になっている子供たち〜に対する違和感を示せなかったのか。だと思います。

自称リベラルに対する不信感について
リベラル・ダイバーシティ(文化多元主義)・グローバリズム…どれも美しいコトバですが、んじゃ明日から新大久保に住めって言われたら、平気で住める人と、ちょっと尻込みする人の割合は、まぁ、良くて半々でしょう。

それは適応力の問題であるかも知れませんし、あるいは加齢の問題であるかも知れませんが、理由がなんであれ、新大久保や歌舞伎町で、落ち着けない人は落ち着けないものです。美しいコトバは結構だが、Not in my backyardで頼むよ。という人が半分は、居るものです。これは、属人的なものとは限りません。多くの場合、一個人の中にも「半々のキモチ」があるものです。

仮に。自分の中にそうしたキモチがある時に、それを認められずに、美しいコトバで塗り隠している人があるとしましょう。さらに、押し殺していた「不快感」が、その人の口を突いて出る瞬間が来たとしましょう。その時に、彼や彼女のコトバは、より一層激しい差別の色を帯びる事になってしまうのではないでしょうか。

自分が、いわゆる「リベラリスト」に対し、半信半疑の姿勢を取るのはこの為です。リベラリズムは好物な方ですが、個々のリベラリストは、必ずしもそうではないです。あの思想には「素の自分を認められなくなるリスク」があると思います。

へ.民族に優劣などない。

個人的には民族に優劣などないと信じているのですが、残念な事にフジ韓流騒動を巡っては民族差別的な言辞が多く混入しているかに見えます。

愛国心の発露や国威発揚は結構な事とは思いますが、それは他を貶める事によってなされべきものではありません。ソレはむしろ「四方の海みなはらからと思う世に など波風のたちさわぐらん」と詠まれた大御心に反し、御稜威を穢す非国民の振る舞いかと思います(いいのかコレw)。こころただしき日本人を気取りたいなら、五族協和の精神を体現してみせるべきでしょう(だいじょうぶかオレw)。

と・ゆうワケで。きっとナニモノにもなれないオマエタチに告げる。

への一)きみはシュリを見た事があるか?

自分の知る「韓流」はコレだけなのですが。この映画には、予算がなかろうが歴史が浅かろうが、ハリウッドにゃ負けねぇ。オレ達にはオレタチにしか作れねぇモンがあるッ!!的な気概を感じました。恋愛描写の部分はなんかよくわかりませんでしたが、南北分断を下敷きにした脚本やアクションは、邦画ぢゃ出せない迫力があったと思います。

それ以後の韓流についてはよく知りませんが、折角韓国モンを見るのなら、今生きて動いてる韓国人が何に笑い何に泣き、何を良しとし何を憎むのか、ソレを魅せてくれるもんでなきゃぐっと来るもんがありません。それは外国の劣化コピーでも昔の伝統文化でもできない事です。「いま、この瞬間に生きてるオレラやカレラ」にしかできない事です。この映画は、余計な雑念のない、いい映画だったと思います。個人的には、なにかとすぐ影響される方なので、しばらく挨拶は「ソコクトンイルマンセー!」にしてましたw。

近くは、我々に最も同化しやすいといわれる朝鮮の人々さえ我々の提供する映画だけではもの足らず、彼ら自身の映画を作り出すために苦悩をつづけているではないか。

伊丹万作さんというのは戦前から戦後にかけて活躍した映画監督ですが、国策映画論に反発する一方で、同時代の韓国映画人の苦闘を見ておられたようです。

への二)キミは在日が在日であるワケをしっているか?

「在日は半島へ還れ!」などと叫ぶ者もあるようですが、これについて。

1947年(昭和22年) 5月2日 外国人登録令 発布(大日本帝国 最後の勅令)
         - 5月3日 日本国憲法 施行

彼らのご先祖は「大日本帝国の国民」でした。大韓民国北朝鮮民主主義共和国もできる以前に、その国籍を帝国最後の勅令で剥奪したのは、昭和天皇ご自身であらせられます。現憲法の施行はその翌日。後の外国人登録法は、この勅令の後継になります。

"在日日系日本国民"としては、ちょっとコレ、オトシマエつけなきゃマズイんぢゃないかと自分は思います。当時の日本国にも事情はあったのでしょうし、その後もイロイロあるのは知らないのではないのですが、できれば自発的に国籍をとって戴いて、韓国系日本人になって貰える手はないもんか。と思います、、、とりあえず「帰化」言うのヤメてみる。くらいしてしてませんけども。

ト:ふろく:緊急実施日本放送協会リストラ要綱

  • 一、衛星を廃し県域地上波のユニバーサル・サービス保全に専念すべきこと。
  • 二、ハイビジョンを廃しワンセグ料金を設けべきこと。
  • 三、優良なる国産番組のインキュベーション機能を拡充すべきこと。
  • 四、放送法における日本放送協会に関する条項を廃し、NHK内閣府所管の公益財団法人に改組すべきこと。

一、衛星を廃し県域地上波のユニバーサル・サービス保全に専念すべきこと。

まず、NHK受信料についてのご案内を見ると、地上契約と衛星契約が、抱き合せ販売になっています。

種別 月額
地上契約 1,345円
衛星契約〈地上契約含む〉 2,290円

全ての国民が等しく受けべきユニバーサル・サービスを提供するなら、NHKは衛星放送だけとするのがローコストです。一方で、県域の情報提供も不可欠なのは論を待ちません。で・あれば。衛星は民間にまかせて、NHKは県域地上波の維持保全に専念するのが合理的だと思います。
また、米国では月額20ドル(75円換算で1500円)未満で20チャンネル程度は見れるCATVが、世帯普及率60%に達しているそうですが、NHKが抱き合わせ販売でこれだけの可処分所得を持って行ってしまうと、有料の衛星放送やCATVの普及(チャンネルビッグバン)を阻害してしまいます。
「20チャンネルのテレビ」が「ふつう」であれば、そのうちの1局が「韓流ゴリ押し」をやっても、反対運動が起きるほどの事もないでしょう。文字通り「見なきゃいい」で済みます。現行のサービス/料金体系は、不可解な民業圧迫に思います。

二、ハイビジョンを廃しワンセグ料金を設けべきこと。

次に、NHK受信料の窓口-よくいただく質問では、ワンセグでも受信料が必要とあるのですが、料金種別にワンセグ料金というものがありません。QVGA320×240の画面サイズ、チャップリン時代と同じ毎秒15コマの放送が、ハイビジョンの地上波と同じ値段というのは、いささか乱暴な話と思います。最近ではテレビなぞ要らん!という学生さんも増えていますし、そもそもテレビなぞ見ぃひん!という方もあります。

テレビ/チューナー付きPC 世帯単位 月額1,345円
ワンセグ 個人単位 月額0,300円

毎秒15コマでいつまで300円取れるのかという問題はありますが、当面の間は、このくらいが妥当ではないかと思います。四人家族でテレビを買わない家でも、月額1200円にはなります。

そもそも全ての国民が等しく受けべきユニバーサル・サービスで、ハイビジョンが必要なのか?という疑問も提起したい。もとより今更な話ではあるのですが、少数派とはいえ、そこに手が出ない人が存在する状況で、ハイビジョンに突貫した日本放送協会の姿勢には、甚だ疑問が募るところであります。

三、優良なる国産番組のインキュベーション機能を拡充すべきこと。

つまるところNHKコア・コンピタンスは「国民の受信料で国内放送網を維持できる事」に付きます。であれば、この「国民の財産」は、広く国民に開放されべきものではないかと思います。民間や地方局には、技量の優れたカメラマンさんや編集さんが多々ありますし、番組制作会社も数多くあります。さらには、PC、ニコ動、YouTubeの普及で、一般にも優れた番組制作をなし得る才覚が育ちつつあります。これらの人々に、放送番組制作の機会を提供するならば、NHKは国産番組のインキュベイター機能を以て、法的保護を受けるに足る存在と主張し続ける事が可能かと思います。

四、放送法における日本放送協会に関する条項を廃し、NHK内閣総理大臣認定の公益財団法人に改組すべきこと。

「テレビのデジタル化」とは、「デンパという土地の区画整理」すなわち「既存テレビ局の立ち退き」に他なりません。「テレビのデジタル化」とは、同じ電波帯域でより多くのTV局を可能にする、あるいはより多彩な使い方をするべく為されるものです。罹災地三県を除いて予定通りにアナログ停波がなされた以上、今後の日本放送協会の使命は、従来のそれとは大きく変化があってしかるべきです。

フジ韓流騒動:参考リンク集

- 07/25 高岡蒼甫「ここはどこの国だよ!」 韓流ドラマばかりのテレビ局批判 : J-CASTニュース
- 07/27 フジテレビと日本テレビの放送免許が危ない問題。 - ひろゆき日記@オープンSNS
07/30 韓流というレイシズム: Meine Sache 〜マイネ・ザッヘ〜
- - 茂木健一郎「韓流のどこが悪い」 フジテレビ「不視聴」を批判 : J-CASTニュース
- 07/31 ふかわりょう高岡蒼甫に共感? 韓流偏重「テレビ終わったな」 : J-CASTニュース
- 08/01 「韓流偏重批判」巡りネット大騒動 著名人から共感の声、フジ抗議デモ告知… : J-CASTニュース
08/02 フジテレビは韓流ドラマでも何でも自由に流せばいい : J-CAST会社ウォッチ
- - 高岡韓流騒動に高城剛が「参戦」 「テレビ利権と芸能プロが問われている」 : J-CASTニュース
- テレビ局の給料 一番高いのはどこ? : J-CASTテレビウォッチ
08/03 ネット上のフジテレビ批判をマスメディアがまったく報道できない理由 - 木走日記
- - フジテレビが異常なほど韓流に肩入れする理由(ゲンダイネット) - livedoor ニュース
- 08/07 お台場騒然、「韓流やめろ」コール フジ批判デモに多数参加 : J-CASTニュース
08/08 因縁にあふれた反フジテレビ騒動: Meine Sache 〜マイネ・ザッヘ〜
- 08/12 岡村隆史が「もうやめよう、ツイッターとか」 高岡韓流発言や「嵐」のホテル騒動に言及 : J-CASTニュース
08/15 フジテレビの韓流騒動について - コデラノブログ4 - BLOGOS(ブロゴス)
- 08/17 「韓流が嫌なら見るな」は間違っている 作家・深水黎一郎がフジ騒動を分析 : J-CASTニュース
- 08/19 チャン・グンソクいわれるほど人気あるの テレビアンケートで「興味ない」が多数(J-CASTニュース) - livedoor ニュース