どちらかというとユニクロは悪の元凶というより、紀伊國屋文左衛門に見えるんだが。

ユニクロやエイサーのような企業が、庶民の生活を苦しくしている悪の元凶ですよね」という類の「ユニクロ悪玉論」は、けっこう広く支持されてるんですね。後藤田正純氏のように「安売りを規制しろ」という政治家は多く、内閣府参与になった湯浅誠氏も公然と海外移転禁止論を主張しているので、民主党もそのうち言い出すでしょう。

そりゃ確かにユニクロやエイサーは工場雇用は減らすだろうが、少なくとも店員のクチは増やすし、オレのオサイフも守ってくれる。ナニゴトも悪の元凶てなぁちとアレだ。

『悪の元凶』と言うなら、それは冷戦終結だと思う。

1991年の冷戦終結により、

  • 1)「旧共産圏の安価な技術、資源、労働力」が自由市場に参入した。
  • 2)世界中で「超えられない国境」が減った。

これは「世界の技術、資源、労働力が買い手市場化した(デフレと言いたきゃソレでも良い)」という事だ。「ヒト・モノ・カネの輸出入が容易くなった」という事だ。つまり、鉄のカーテンが開いたという事は「事実上のブロック経済に穴が開いた」という事だ。ベルリンの壁は、西側の雇用を守ってもいたのだ。うわ「西側」だって。なついw。冬なのにw(そーゆーのいいからw)。

「壁の向こう」には、優良にして安価な資源があり、優良にして安価な技術があり、優良にして安価な労働力が在った。企業家(業を企てる者)は、その中から「値段の割りに良いもの」や「優れているのに安いもの」を好きに選べるようになった。それ以前は、「向こう」の採掘権を買ったり、機械を輸出するだけでも、「本家」に対する様々な気づかいやら盆暮れのご挨拶だのがつきものだったが、これ以降はさほどでもなくなった。言ってみれば「ビジネスモデル創造者(≒経営者や資本家)むけのジャパネットたかた」がオープンしたようなものだ。

資源・技術・労働力、「いいものだけを世界から!」てな真似ができるなら、自然、業を企てない者(≒労働者や従業員)にとっては面白くない事が増える。これが、世間で「グローバリズム」と呼ばれるものの、芯の部分だと思う。

「再ブロック化」のもんだい

たたかいとは常に二手三手先を以下略。
EUは「鉄のカーテンの向こう側」を、米国は「周辺諸国」を、わりと速攻で取り込みにかかっている。これらは、「事実上のブロック経済崩壊」に伴う悪影響の諸症状を緩和する「事実上の再ブロック化」と言える。悪影響はゼロにはならないが、足場を固めれば「外」に「自由貿易を求めてゆく」事はできるだろう。

中国は、この時点ではまだブロックを外に拡げる動機が薄い。国内に膨大な貧しい人口と豊富な資源があったからだ*1。「内なる鉄のカーテン」を開いてやれば、彼らは「外資」を呼び込める。そこで力を蓄えてゆけば、いつか世界に売れる商品を作れるようにもなるだろう。なにしろ「世界のタテマエは自由貿易」だ。

一方で「企業家むけのジャパネットたかた」は、どんどん店を拡げていった。国境を超えたコミュニケーションを、イソターネットが加速したからだ。国境を超えた物流を、Fedexハブ空港が加速したからだ。コミュニケーションが深まれば実際に会いたくもなる。モノのやりとりが盛んになれば、物流も加速する。業を企てる者に取っても、業を起こす者にとっても、良い時代になったものだ。

だがもちろん、業を企てない者にとっては面白くない事が増えてゆく。近年、国内で「グローバリズム」と呼ばれ嫌われているのは、おおむね、上記の太字下線のぶぶんに起因する事柄かと思う。だが特にEU圏ではもうちょっと早くから反撥が出ていた。
反グローバリゼーションのデモがサミットの風物詩になったのは、遅くとも90年代半ばのことだ。

帝国の楯

我々がそうした事に鈍かったのは、日本製品が「商品として」優れていたから。ではない。

ハイテクだけが問題だったら、なぜ我々は世界のケータイ市場から叩きだされた?なぜ液晶TVのトップがソニーでない?いつの間に東芝はノートPCのナンバーワンでなくなった?これらの状況は、20年前にはスタートしている。90年代のうちから、もはや日本製品は「商品としては」優れていない。少なくともコストパフォーマンスに於いては、世界最強ではない。コスパで最強でないから世界シェアが落ちる。世界シェアが落ちれば開発投資は続かない。やがて技術は枯れてゆくだろう。ひらたく言うと、ゲルググひとつでGM10機が止まるものかよ。たたかいは数だよアニキ!

ゲルググ1機が生む利益  <  GM10機が生む利益
ゲルググ1機が生む雇用  <  GM10機が生む雇用
ゲルググを買える客  <  GMを買える客

それなのに、全体としては、日本はこれらの動きに鈍かった。在日日本人で居る限りは見えにくいから?国内市場が育ったから?もしかしてギレン派?それぢゃ輸出イノチの外需番長は続かないだろう。最大の理由は、「終身ケツモチの楯」が、ビグザム裸足の防衛力を発揮したからだ。

  • 1)終身雇用:現役を安値でこき使う → 海外との賃金格差をある程度吸収できる。
  • 2)ケイレツ:下請けという名の雇用調整請負団 → なるたけ切らない。切った場合も真っ先に取引を戻す。
  • 3)モチアイ:相互扶助式の倒産抑止器 → 株主から従業員の雇用を守る。事実上のセーフティネット

元来これらは「国家の総力を結集して、みんなで豊かになるためのシカケ」として編み出されたものだ。つまり野口悠紀雄さんの言う『1940年体制*2』だが、これは豊かさを分け合うシカケであると同時に、痛みを分散する装甲としても機能する。具体的には、株主利益を毀損してでも従業員の雇用を守る、、、ドズル閣下に敬礼だ。
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1940年体制』によると、いわゆる「大企業」の顔ぶれは、1940年前後からあまり変わっていない。また「大企業あっての中小企業」という産業構造も、この時期に確立している。終身雇用、年功序列、株式の持ち合い、護送船団式の銀行団、異様に高い貯蓄率、源泉徴収の制度、直接税が主流の税収構造、株式よりメインバンクが資金調達の主軸、企業は株主の私物ではなく従業員の共同体という思想、、、などなどなどは、この時期に急速に普及したという。

このへんはあまりに膨大なので、できれば同書を読んで頂きたいところなのだが、手許ではより端的に、1936(S11)に日満財政経済研究会なるシンクタンクが公表した『昭和十二年度以降帝国歳入及歳出計画(付、緊急実施国策要綱)』を「40年体制の始祖鳥」と目している。といっても『満州の歴史*3』の孫引きだが、軍事面を省いて抜粋すると以下の通り。

  • 行政機構の抜本的改革:中央集権化。
    • ※戦前の都道府県は財政面、徴税面で現在よりも遥かに独立性が高かった。従って地方格差も大きかった。(県知事は民選ではなかったが、権限の中央からの独立性は強かった。)この後、地方交付税など税源の集権化と、中央からの再配分による平準化(そして統制)が進んでゆく。
  • 輸出産業の拡大
    • ※当時の日本の輸出産業は大きく二つのレイヤーに別れる。まず対米輸出が生糸・織物・満州の大豆など。そこで得たお金でくず鉄と石油を持ち帰り、次に対東亜諸国と植民地向けに工業品を輸出。という具合。雑駁に言うと、世界初の大量生産革命(T型フォード,1908~)に沸いていた北米への工業輸出はまだ遠く、WW1終結で東亜市場に列強諸国が復帰したのが大打撃だった。当時の日本は、まだ「産業構造の2次化」の足掛かりを得たばかりの「貧弱なぼうや」だった*4
  • 産業別統制政策:産業の重要度に応じて3形態に分けて監督助成。
    • 国営形態:電力、航空機、兵器
    • 特殊大合同形態:石油、石炭、鉄鋼、自動車、化学*5
    • 企業組合組織:政府による行政指導*6

特に三番目は、戦後の日本経済のシカケと良く似ている。これは教科書的な意味での資本主義ではない、自由主義でも市場主義でもない。かといって社会主義とも共産主義とも違う、ちょっと不思議なハイブリッドシステムだ*7。これ以前の日本は、古典的な意味での自由主義リベラリズム)、教科書的な意味での資本主義にかなり近いものだった。企業の資金調達はメインバンクより株式市場が圧倒的で、企業は株主のもの、利益も株主のもの、従業員は景気が傾きゃすぐ首が飛ぶ存在だった。

時代背景に目をやると。

1920年代はWW1バブルの崩壊に始まり、その不良債権関東大震災(1923)で「震災手形」に混ざってしまって処理がなかなか進まぬまま、昭和金融恐慌(1927)、男子普通選挙(1928)を経て世界恐慌(1929)を迎えている。ここで成立した浜口内閣は世界恐慌を読み切れず、よくある景気変動の一つと認識したまま金解禁(1930)を断行、「嵐に向かって雨戸を開く」結果となった。

その後高橋是清の日銀引き受けによる軍事予算増額*8などで、日本は世界恐慌の混乱を世界最速で脱するが、世間には、この10年の間に「マネーゲーム」に狂奔し、濡れ手に泡で大金をせしめた「資本家・銀行家・資産家・投機筋」への反感が渦を巻いていた。09Q4っぽく言うと、庶民は「行き過ぎた市場原理主義の是正」を求めていた。雇用の拡大を求めていた。身売りの根絶を欲していた。

少なからぬ人々が「党利党略に夢中で再建の実を挙げない政党政治」に倦んでいた。この時代、高級官僚の意識も変化しつつあった。『1940年体制』によると、彼らは『明治20年制定の官吏服務紀律の精神では、今日の多難なる時局は乗りきれそうにも無い』『いままでは法律立案運用解釈のコンサヴァティヴ・エンジニアであったが、これからはクリエーティヴ・エンジニアでなければならぬ』などと言い交わしていたようだ。

もちろん軍部や市井でも様々な政治結社が結成され、中にはテロに活路を求める者も出ていた。だがしかし、その背後の方が重要だ。当時の日本は、様々な国家改造論や新体制論が噴出する「一億総ブレスト状態」だった。そちらの方が重要だ*9

日本には、列強のような「植民地」は無かった。資源も、安価な労働力も、安定した市場もない中で「ブロック化の途」は採れなかった。米国のように「内なる植民地」も無かった。日本では「莫大な埋蔵量を誇る中西部油田」は発見されなかった。選挙権もなく単に「奴隷で無い」というだけの労働者も大日本帝国の版図内には(すくなくともタテマエ上は)無い中で、米国とは前提が違い過ぎた。参考になりそうだったのは、五カ年計画で躍進するソビエト社会主義共和国連邦国家社会主義で脅威の復興を遂げたナチス・ドイツ

その中で、ソ連のように全てを国営にするのではなく、産業を、官営・半官半民・ゆるやかな自由、の三分野にわけて「行き過ぎた市場原理主義を抑止しつつ成長し、その果実をなるたけ平等に分け合う」というアイデアは、人心を得やすかったのではないかと思う。公共事業の引受先に、きちんと補助金が労働者に行き渡るよう監視を派遣したナチスのやり方は、人心を得やすかったのではないかと思う。既に資本家が育っていた日本に適合するように。明白な対立より村社会の相互監視が良く効く日本に適合するように。

もちろん、日満財政経済研究会は石原莞爾の私的シンクタンクであり*10、同計画書の全体像は「国防が第一、そのための国力充実、そのための経済発展、そのための輸出振興、そのための日満一体での国力拡充」という構造になっている。しかしながら、これらの改革をやり遂げて国力を充実させるには「少なくとも十年の平和が必要」ともしている。

その後の日中戦争の泥沼化で、日満財政経済研究会のアイデアは根底から崩れてしまうのだが*11、戦後、我々は、十年どころではない平和を得た(日米安保)。国防コストのGDP比は恐らくG7中もっとも安く、残る力を復興と発展に叩き込む事ができた。利益もそこに再投資できた。

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帝国の遺産は「高度成長の槍」として激しく有効だった。だけでなく「グローバリズムを防ぐ楯」としても20年近くを佳く耐えた。楯機能のほうは、この記事書き出してから気付いたんだけど、、、鼻血がでちゃった。スゲェもんを遺してくれたものだと思う。守るも攻めるもくろがねだぁっ!!

実は日満財政経済研究会を「40年体制の始祖鳥」に擬してはみたものの、ホントはコレ「誰ソレがつくった」と言えるようなシカケではない。ほんとうの40年体制は、同時多発的に社会のあちこちから出て来たアイデアが、ある時期を境にばちばちばちっと組み上がり、よってたかってカイゼンされてったものだ*12。とてつもねぇ事をする連中だと思う。鼻血、鼻血。

問題はスモール・ワールドだ。イッツ・ア・スモール・スモール・ワールドなんだ。

だがしかし。遺憾ながらビグザムは墜ちた(遅くとも08末に)。バオアも長くはない。「帝国の楯」の陰で「グローバリズム適応の痛み」を先送りにしてきた将兵しかいないからだ。もしも彼らが世界シェアの低下に目を塞ぎ、「ハイテクハイテク日本はやっぱりモノツクリ!」と唱えるばかりだったら、多くの事は期待できない。

繰り返しになるが、「グローバリズムの正体」は、「資源・技術・労働力」を「いいものだけを世界から!」とやれる世界の事だ。これは、その後のイソターネットの発展や、ハブ空港に代表される物流網の再編で、とうの昔に「あたりまえ」になってしまっている。製造業派遣や工場の海外移転を禁止したって、今更Acer輸入禁止とは言えないし、イオンのPB地デジも止まらない。ユニクロは中国に本社を移して自由貿易!と魔法の呪文を唱えりゃ良いだけの話だ。

「帝国の遺産」はそこまでは見通していない。本質的に40年体制は、1次産業の国を2次産業の国にシフトさせる為のものだからだ。我々には、2次中心の産業構造を3次中心にシフトさせるシカケを創る必要がある。高次の産業ほど高次の付加価値を産むからだ。

既に自動車が「あたりまえ」になった世界で「モータリゼーションの負の側面!」を叫んでも「キモチはわかるよ」としか言ってもらえない。とっくにグローバリズムが「あたりまえ」になってしまった世界で「ハゲタカファンド」だの「売国政治家」だの「亡国企業家」だの叫ぶより、その上で踊って見せるほうがなんぼか実がある。

しつこく繰り返すが、「グローバリズム完了後の世界」とは、「ヒト・モノ・カネ」を「いいものだけを世界から!」とやれる世界の事だ。経済の興廃を決するのは、その中から「最適な組み合わせを発見し、最適な市場に結実させる能力」だ。

確かにユニクロは工場雇用を減らす。だが、少なくとも店員のクチは増やすし、オレのオサイフも守る。アタシにゃあ、"沖の暗きに白帆が見ゆる、あれは紀ノ国ミカン船"って奴に見えるんだが。

*1:今でもあるけど、「外」に目を向け始めてもう長い

*2:1940年体制—さらば戦時経済』野口悠紀雄,2002,東洋経済新報社

*3:満州の歴史』小林秀夫,2008,講談社現代新書

*4:自分はその後の努力はいくらでも賞賛するが、近年の「ハイテクハイテク日本はやっぱりモノツクリ教」には乗りきれない。高次の産業ほど高次の付加価値を産む。これを至上命題とする場合、1次より2次、2次より3次。それが漏れのジャ(略。

*5:昨今スパコンで世間を賑わせた理化学研究所は、これらの共同基礎研究所みたいな性質を汲んでいる。NHK技研もちょっとそんなカンジ入ってる。

*6:09Q4現在も、トラノモンに蝟集する各種の「業界団体」は、天下りを介してカスミガセキの言う事を良く聞く

*7:戦後も石原莞爾は、「世界は自由主義を脱し統制主義に向かう」としている。→青空文庫:新日本の進路

*8:古今東西、公共事業にゃ手っ取り早い。陸軍は雇用吸収力が強く、海軍はうわばみのように経費を欲しがる。

*9:天皇バンザイの国士調は、時代に合わせた糖衣錠に過ぎない。そりゃまぁ一発で糖尿になれそうな甘さだが、プイっと横を向いてばかりも糖尿警察と言うものだ

*10:でもカネの出所は陸軍参謀本部の公金なんだよねw

*11:責任の過半は中央の司令に反して進撃した現地軍の軍規の弛みにある。ひいてはこれが米国の硬化を産む。くさってやがる、早過ぎたんだ!

*12:敗戦にすら耐えた。もしかしたらニューディール・リベラル(自由主義とは言うものの、実質的には古典的な自由主義に対する社民主義的な補正)の精神と呼応する部分があったのかもしれない。