あの人は軸がブレてない。ステキ♪

 困った事にゲーム脳は過ぎさった過去というわけではない。最近の事件報道でも「ダガーナイフはドラクエに登場する人気の武器」とか言ってたし。「ゲームをやると脳が病む」というステレオタイプミームは、きっちりと存在し、人々の脳に刻み込まれ、また刻み込まれ続けているのだろう

 しかし、ゲーマーやゲーム会社の「反論」に耳を傾ける者などいない。「科学的事実」なぞくそくらえ。そのルートは「ゲームオーバー」だ。

 クリア条件は、この世の全てがゲームを好きになること。ゲームのテキは、ゲームのミリョクで「ゆうわく(はぁと)」みたいな。そのためには「ありのままの自分」とかほざいてちゃ始まらん。だって「モテてない」んだから。まずはゲーム機が家族全員に受け入れられる存在にならねば。

(*空港情報や、野球場にいるときに食べ物を注文するサービスについて*)

岩田 われわれは絶えず、DSを日常生活でもっと利用する方法——DSをどこにでも持って行きたいと思ってもらえるようなサービス——を考えています。あらゆる種類の顧客に、DSを持つべきだと思わせる必要があります。

 ゲームはゲーム機がなきゃできない。テレビぢゃ遊べないしパソコンにゃ移植の手間が掛かる。「蛇口」が嫌われてちゃ始まらない。

(*この種のサービスには携帯電話の方が適しているのでは?*)

岩田 携帯電話サービスは多数のモデルとフォーマットに対応しなければなりませんが、われわれはサービスをDS向けにカスタマイズできます。その方がずっと使いやすいです

 これは聞かれたから答えてるまでで、岩田さんの眼中にケータイは存在しないんぢゃないだろうか普段は。任天堂の基準原器は「ファミコンと小学生*1」でありWinでもMacでも無い。コドモダマシ*2が通用するのは大人だけだ。
 ブルートゥース無線LAN、メニューメニューメニュー設定設定設定プロファイルプロファイルプロファイル、あげくのはてに「リテラシー」。そんなんぢゃスタートラインにも立てねぇよ。

 なにがどうあれ、地アナはいずれ止まる。空いた帯域に高速無線の参入が相次ぎ、いつでもどこでも、今より段違いに早く、そして安くつながるようになる。パラ鎖ケータイの寿命はもちろん、日本のインフラは世界一ぃイイイ!と言っていられる時間もそんなには長く無い。

 ハイテクが単独で受け入れられる事はない。常に使いやすさ、むつかしく言うとヒューマンタッチとのバランスが求められる。テクのほうがハイであればあるほど、タッチのほうもハイでなければバランスがとれない。タッチが追いつかないならテクのほうを下げてでもバランスを取らないと、客がついてこない。

 n=547と母数が少ないのがナニだが、20代で「ついてこない客(ビミョー+さっぱり)」が30%を超えている。こうしたリテラシーの「バラツキの大きさ」は、疎外感に由来する有害論の発生確率、すなわち「潜在的ゲーム脳リスクのデカさ」を示す。それが発生してから「使わずに非難する大人達」とか言ったって、効きゃせんダロこの状態ぢゃ。

 なお「使いやすさを売りにしたケータイ」だが、もともとシルバー世代は「シルバー向け」を嫌うし、団塊世代に至っては「団塊向け」が大嫌いだ。出来はともかく「カンタンケータイという売り方」「カンタンをアピールするデザイン」が「キミタチにはこの程度」という「親切ごかしの世代差別」として作用する。疎外感に由来する有害論の発生抑止、という点では逆効果だ。

 コドモ達と密にコミュニケーションを取り「あたらしいナニカ」のメリットとデメリットを「実感を持って把握し、指導できるオトナ」はいつの時代も多数派ではない。そしてもともとケータイは「親と一緒に遊ぶ」ことすら難しいキカイだ。メールは問題じゃない。こっちだ。ここにある『出会い系サイト規制法で禁止されている「不正誘引」』、しかも急増したという『"児童からの誘い"』って具体的にどんなんだ?という不安感は、適当な依代(よりしろ)さえあれば噴出する。

 痛ましい事件?科学的事実?それともナニカの法案?結局のところ、青少年ネット規制法案は、ハイテクに見合ったハイタッチの欠落が生んだものぢゃないだろうか?

 全体的にガラパゴスケータイは、かつてのゲーム業界より危険なところに踏み込んでいるように思う。不出来な事にモニタのこちら側にはリセットもコンティニューも無い。恨むなら自分か神様だ

(*エンターテインメント企業としての当初のミッションを超えようとしているということですか?*)

岩田 当社がまず第一にエンターテインメント企業であることは変わりませんが、ビデオゲームの定義は変わりました。ビデオゲームとは何であるかという見方を可能な限り広く持ち続ければ、当然、人々がゲームだとは思わないかもしれないこともやるでしょう。

(*ビデオダウンロードについて*)

岩田 われわれの強みを強調し、ビデオゲームとは何かを広げるような、何か違ったことができるなら、やるかもしれません。特にアイデアがなければ、映画会社を持っているソニーや、資金力のあるMicrosoftのような企業とまったく同じサービスで競争することはないでしょう。

 例えば、モニタに映る全ての「面白いこと」をゲームと呼ぶ。みたいな。マルチメディアとかITとかWeb2.0とか、幅のありすぎるコトバに軸足をおくと、ふらつく。ヒトも組織も。
 症状が進むと確かなものがなんにもないので、♪どうしてぼっくっはっここに〜とか歌い始める。ヒトも組織も。個人なら自分のブログで済むが、集団だと商品(製品やサービス)が歌いだす。

 足場がくっきりしてるとそこまでは行かない。Web2.0はラグオルでagehaはマイキャラ。みたいな。あとはやってりゃ分かるわい動くんだから。x264?mencoder?攻略本あんだろ英語なだけで。辞書ひきゃ分かるわそんなもん。あとはやってみりゃ分かるわそんなもん。だって動くんだから。

 もしも自分が要らん悩みにハマらずに済んでいる部分があるとすれば、それはゲームに貰ったもののおかげだと思う。そのかわり要らん遊びにハマってる感がなきにしもあらずだがソレはソレ、コレはコレ。嬉しいな。ボクには帰れるところがあるんだw

岩田 当社の売り上げは予想以上に増えたかもしれませんが、ビデオゲームをしたことがない人はまだたくさんいます。

 儲からん事には意味が無い。しかし儲けの為に動いているわけでは、無い。今あるゲームに関心を持てない人はまだたくさんあるし、途上国のガキどもだって、まってる。ゲームを作って売るのは仕事だが、少しばかりは、夢や希望があるほうがいい

 どこかのだれかの笑顔のために。

 しってるぞ。そういうの、ビジョナリー・カンパニーとか言うんだろ?

*1:初代ファミコンのコントローラは踏んでも壊れない。踏まれる事を前提にしている。ジョイスティックではなく平たい操作ボタンを採ったのもその理由による

*2:ここでは主に実態不明の横文字語を指す。