♪サラリーマンはぁ〜、気楽な稼業っと きたもんだ
■1962(S37)
- サラリーマンは気楽な稼業と きたもんだ
- 二日酔いでも 寝ぼけていても
- タイムレコーダー ガチャンと押せば
- どうにか格好が つくものさ
高度成長期の入り口でこの歌が流行ったという事は、それ以前は「気楽でない稼業」が多かったのではないかと思った。今。だって農家や職人や商店主がこうでは、どうにも格好つかんだろうし…。というのも乱暴な話だが、少なくとも終戦直後の日本では、8割くらいが農家だった筈だ。
さらに乱暴だが、「サラリーマン」を大卒者と看做すと、、、増えてはいるが多数派ではない。
年 総数 男子 女子 昭和37年(1962) 19.3 21.9 16.5 昭和47年(1972) 29.2 30.0 28.4
この時期に農家の子弟はこういう事をやっている。
集団就職(しゅうだんしゅうしょく)とは就職活動を集団で行なうこと。特に、日本の高度経済成長期に盛んに行なわれた、農村から都市部への大規模な就職運動のことをさす場合が多い。
アメリカ | ブラジル | キューバ | 満蒙開拓団 | 在日朝鮮人 の帰還事業 | 集団就職 | |
1890 | 本格化 | |||||
1907 | 本格化 | |||||
1916 | 本格化 | |||||
1924 | 全面禁止 | |||||
1931頃 | 本格化 | |||||
1941(開戦) | 中断 (対日宣戦) | 途絶 (対日宣戦) | ||||
1942 | 途絶 | |||||
1945(敗戦) | ||||||
1951 | 国交回復で再開 | 開始 | ||||
1954 | 集団就職列車 運行開始 | |||||
1959頃 | 戦後のピーク | |||||
その後 | 1973 移民船廃止 移民数急減による | 帰還後、一部が千葉県成田市三里塚に入植。 | 1984頃終了 | 1975 運行終了 |
大戦略はコレだ。
- 1960年、池田内閣の下で策定された長期経済計画である。
- この計画では翌1961年からの10年間に実質国民所得(国民総生産)を26兆円に倍増させることを目標に掲げたが、その後日本経済は驚異的に成長した。
その後「気楽な稼業」はこんなカンジで伸びてゆく。
年 実収入 世帯主以外の収入 実支出 主な出来事 昭和37年(1962) 50,817 8,608 43,226 - 昭和38年(1963) - - - - 昭和39年(1964) 63,396 10,709 53,616 東京五輪 昭和40年(1965) 68,419 11,246 57,938 - 昭和41年(1966) 75,372 12,361 63,419 - 昭和42年(1967) 82,650 13,139 69,139 - 昭和43年(1968) 90,132 14,573 74,933 - 昭和44年(1969) 100,533 15,855 82,888 - 昭和45年(1970) 115,379 17,569 94,303 大阪万博 昭和46年(1971) 127,235 19,322 104,362 - 昭和47年(1972) 140,062 20,330 112,791 -
一方、農村から集団就職でやってきた「金の卵」さんたちは、
職種としては単純労働(ブルーカラー)が主体であったため、雇用条件や作業環境もかなり厳しく、離職者も多かった。各種の理由から勤続後の独立開業が困難であったため、戦前のいわゆる丁稚よりも厳しい環境だったとも言われる。
■1972(S47)
田中角栄さんが首相に就任する。
日本列島を高速交通網(高速道路、新幹線)で結び、地方の工業化を促進し、過疎と過密や、公害の問題を同時に解決する。
これに先立つ角栄さん郵政大臣時代(1957~)に「テレビ局」が全国に広がってゆくのだけれど、この時の「一県一波制」で、放送免許は県単位となった。田中角栄 / 初出馬から首相就任まで- Wikipediaによるとこんなカンジ。
戦後初めて30歳代での大臣就任。テレビ局と新聞社の統合系列化を推し進め、その強力な指導力により、現在の新聞社 - キー局 - ネット局体制の原型を完成させる。その過程で官僚のみならずマスコミも掌握した。特にテレビ局の放送免許(とりわけ地方局の免許)を影響下に置いたことはその後の田中の飛躍の原動力になった。
ここでデンパキチ(勝手な造語)が出来上がる。
- デンパク:東京一極集中により、大企業の広告窓口を抑える。 ←ある意味モノツク利権のシモベ
- キー局:そのお金で番組を作り、全国ネットワークに供給する。 ←新聞資本と結合
- チホウ局:キー局の番組を流して「手数料」を貰う
といった具合…。
水源池は年間2兆のTVCM市場。デンパキチはそれを分け合うナカマたちだ。角栄さんは高度成長が産んだ格差是正の為に、「東京のお金を地方に流す用水路」をたくさん工夫したひとだが、これは、その処女作に近いものだと思う(よくできている。ほんとうに、よくできている)。
図:レッドラインはオカネの流れ。ブルーラインはサクヒンの流れ。
このあたりで、ダブル・トライアングルと、情報のATフィールド(勝手な造語)ができあがった。筈だ。
■2009(H21)
現在の問題は、角栄用水の水源池が枯れ始めたという事だ。いや、実はもうずいぶん前から水源から出る以上の水を使うようになってしまっていたのだ。ほんとうは角栄さんだってそんなつもりぢゃなかった筈だ。この用水を種銭に、自分たちのクニを自分たちで興せという積もりだった筈だ。
そして、「気楽な稼業」のほうも、気前よく分けてくれるほど、稼げなくなってきている。我々はとうに「追いつき追い越す」お手本の立場まで来てしまっている。80年代に米国が予測した「やがて来る第二第三のジャパン」は、植木等さんバリのガッツで我々を追い越しつつある。
- 1.非効率企業の倒産を加速すべきではないか。倒産のない経済は不経済だ。
- 2.終身雇用の保護は弱体化すべきではないか。「気楽な稼業」はもうおしまいなのではないか。
- 3.セーフティネットを「施し型」から「復帰支援型」に再構築すべきではないか。
- 4.起業を促進し、多産多死型の産業構造に作り替えるべきではないか。
- この4者は、バランスをとりつつ同時併行で進めていかねばならない。
- 但し、アメリカ人のエイリアスになってはならない。上記の方針を採るとしても、具体策では、要・和魂洋才だ。
- 一個日本人是虫・一群日本人是龍。この資質は変えられない。伝統的な互助精神を無くせば、我々はタダの虫だ。集団戦闘なら、日本に追いつく国など無い。
それは決して気楽ではない。果実を受け取るのは次の世代であるかもしれない。もっと先であるかもしれない。それでも自分は、あの大合唱ーー緊急事態だ。国が支援を。大変なんだ、国が支援を。ーーに加わる気がおきない。だって恥ずかしいぢゃねぇか。
ほんとうは、あの時代の人達だって「気楽な稼業ときたもんだ♪」って歌でもなきゃあ、やってらんねーほどキツかった筈なのだ。
*1:「需要主体」は「外」にある。