メモ:「昭和初期の少年小説」とまんがとアニメとゲームとラノベ
- RT@ShinyaMatsuura 2009年12月22日(火)
- 青空文庫から、佐藤紅緑「 ああ玉杯に花うけて」をダウンロードして読む。:http://www.aozora.gr.jp/cards/000575/card3585.html 昭和初年、浦和の少年達の物語。とりあえず「昔は良かった」系の人は必読。
- 旧制中学2年と3年がナイフ振りまわして大げんかしたり、地元のボスの息子が明らかに犯罪の傍若無人を繰り返したり…これで熱血青春物語なのだから、戦前の日本は今の目からすればずいぶんと野蛮かつ理不尽な場所だったのだろうと思わせる。「戦前の日本は良かった」…ふざけんな、という内容。
- それとは別に、描かれる人々の情念の濃さ、そして個々のキャラクターの見事なまでの立ちっぷりは読むに値する。萌えキャラとか美少女とかとは別の価値観が、まごうことなく屹立していて、しかも爽快だ。
- 佐藤紅緑はいってみれば昭和初期のラノベなのだが、今のラノベにはない迫力が、その古くさい文体から吹き上げてくる。その気っ風の良さは紅緑本人の性格によるものなのだろうし、その一部は娘の佐藤愛子にも引き継がれているのだろう。
- 佐藤 紅緑(さとう こうろく、1874年(明治7年)7月6日 - 1949年(昭和24年)6月3日)は、日本の作家、俳人。
- 本人の意に反して執筆する事となった「少年小説」の分野で昭和初期に圧倒的な支持を受け、「少年小説の第一人者」として知られる。
1919年(大正8年)から1927年(昭和2年)にかけて新聞雑誌に連載小説「大盗伝」(1921年・大正10年)「荊の冠」(1922年・大正11年)「富士に題す」(1927年・昭和2年)を書き大衆小説の人気作家となる。1927年(昭和2年)、少年小説「あゝ玉杯に花うけて」を「少年倶楽部」に連載、好評を呼び、「少年讃歌」「英雄行進曲」などを書き、同誌の黄金期を築いた。同社の雑誌「キング」などにも多くの連載小説がある。
■たぶん。「青少年のハマる読み物」は、以下のように変遷している。
時期 | 昭和初期→ | 昭和末期→ | 平成R20期 |
---|---|---|---|
ジャンル名称 | 少年小説 | まんが | ラノベ |
代表媒体 | 少年倶楽部 | 週刊少年ジャンプ | 電撃文庫とか? |
■一時代を画したジャンルは、それを摂取したガキ共を次のクリエイターに育てる。はずだ。
例えば、若い頃の梶原一騎さんは「佐藤紅緑のような小説家になりたい」と思っていた。らしい。
梶原 一騎(かじわら いっき、1936年9月4日 - 1987年1月21日)は、日本の漫画原作者、小説家、映画プロデューサー。本名は、高森朝樹(たかもり あさき)。高森朝雄(たかもり あさお)の筆名も使用した。格闘技やスポーツを題材に、男の闘う姿を豪快に、ときには繊細に描き出し、話題作を次々と生み出した。自身の破天荒な生き方や数々のスキャンダルでも話題を呼んだ。
1966年から『週刊少年マガジン』に連載された漫画『巨人の星』の原作者として名声を上げ、以後『あしたのジョー』(高森朝雄名義)、『タイガーマスク』など、いわゆるスポ根ものと言われる分野を確立した功績をはじめ、多くの劇画・漫画作品の原作者として活躍した。
■三つ子の魂百までも。後発ジャンルは、先行ジャンルの栄養を吸って発展する。はずだ。
たった一例(しかもあいまいな記憶)で云うのもどうかと思うが…
時期 | 昭和初期~R20 | 昭和R40 | 平成R20 |
---|---|---|---|
ジャンル名称 | 少年小説 | まんが | ラノベ |
誘蛾灯(魅力のコア) | 『描かれる人々の情念の濃さ、そして個々のキャラクターの見事なまでの立ちっぷりは読むに値する。 萌えキャラとか美少女とかとは別の価値観が、まごうことなく屹立していて、しかも爽快だ。』 |
『男の闘う姿を豪快に、ときには繊細に描き出し~』 | ??? |
「魅力のコア」がそれだけって事もないだろうが、「佐藤紅緑→梶原一騎ライン」というものはありそうな気がしないでもない。これをムリクリ「強敵と書いて友と読む系の系譜」に見立てれば、北斗の拳、ドラゴンボール、ワンピースあたりまで繋がらないもんでもないと言っても過言では無い気がしない事も以下4kbyteほど略。同様にラノベのコアが萌えや美少女ダケって事もないと思うが、その事はひとまず置く。
■コアのビジュアライゼーション(見える化)
ライトノベルの定義に関しては様々な説があり(後述)、明確にはなっていない。ただし、日経BP社『ライトノベル完全読本』においては「表紙や挿絵にアニメ調のイラストを多用している若年層向けの小説」とするものがあり
この定義を採るなら、「昭和初期の少年小説」はモロにハマる。
「小国民」は多色刷の口絵を売り物にしたが、「日本少年」もこの路線を継承したばかりでなく表紙についても多色刷とした。のちには本文記事中の挿画まで多色刷にすることを試みている。川端龍子、竹久夢二、佐々木林風、細木原青起、池部釣などの一流画家を起用したほか、創刊20周年めにあたる1926年には当時絶大な人気のあった高畠華宵を「少年倶楽部」から引き抜いて専属契約を結ぶことにした。その結果、「少年倶楽部」はたちまち売り上げが激減し、一時的に苦境に立たされた。いわゆる華宵事件である。
なにやらジャンプ対サンデーみたようでもある。
しかし、「少年倶楽部」ではこの苦境を逆手にとり、誌面構成を読物に重点を置く方向に切り替えて、新人作家や子どもむけの読物に手を染めていなかった作家たちを発掘・起用することに努めて成功した。この事件こそ、口絵や挿画を売り物に部数の伸長をはかる「小国民」以来長く続いたシステムが敗北したことを意味している。
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一方、ライバル誌の「少年倶楽部」は編集者と執筆者の分業制というシステムに特徴があった。これは従来に見られない画期的な新システムであり、このシステムの前に「日本少年」は敗北。
※下線部の画家名でぐぐると、やたら竹久夢二風味のモガとかモボとか大正デモクラシーとかアールデコとかいう風情の美男美女画ばかりがでてくるが、かっちょいい日本男児も多々あった筈である。なにやら軍国主義風味の入ったヤシ。確かそういうのばっか描いてた人の画集が実家にあった。
基本的にこのへんの「挿絵の魅力」を強化拡大していったのが、戦後のまんが雑誌、ちゅ側面があるかと思う。
■30年周期の栄枯盛衰とか表にしてみる。
30年周期 | 青少年向け挿絵小説 | まんが | アニメ | ゲーム | ラノベ |
1920〜1950 | ○ | - | - | - | - |
1950〜1980 | 衰 | ○ | ○ | - | - |
1980〜2010 | - | ○ | ○ | ○ | ○ |
2010〜2040 | - | 衰? | 衰? | 衰? | 盛? |
ラノベは一種の先祖帰りであるかもしれない。
- まんが:物語のビジュアライゼーション
- 但し、手塚治虫の時点で「映画のカメラワーク、時間経過を表現する技法」は強く意識されていた。
- アニメ:物語のアニメーション
- 「単に動かす」を超え、「生命を吹き込む=animate」するべく、種々の技法が編み出された。
- ゲーム:物語を捨て、世界観の中に入り込む。
- 映画ぢゃねぇんだ、ゲームを遊ばせろ!と云う声は、FF7の時点で既にあった。
これらでは表現できない成分が、求められているのかもしれない。まんがやアニメやゲームの発展過程で抜け落ちて来た部分を埋めているのかもしれない。
日本のサクヒンビジネスは「まんが、アニメ、ゲームの三位一体構造」を目指して来たが、ここ十年ばかりで「+ラノベの四天王体制」が急速に整いつつある。
■ほかに考慮すべき要素。
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日米開戦期の将兵は、上から下まで(石原莞爾級52歳〜士官学校級18歳)、ロシアの次は米国に備えよ!ちゅ「日米仮想戦記」を楽しんだ世代ちゅ話。09Q4現在で云うと、「資源の無い日本は科学技術しかない」て奴が近いんでねぇのとゆう気がしない事も以下4kbyteほど略。