荼毘10雑感
- 「ダビング10を人質になどしていない」「メーカーは“ちゃぶ台返し”だ」 権利者団体が会見(岡田有花さん)
- その一言で、個人的にはさらに信用できなくなりました<私的録音録画補償金制度での権利者団体の主張について(本田雅一さん)
ここに起因する軋轢は、「サクヒン・ビジネス」と「モノツクリ」の境界線上で常に発生する。端的には「文化の違い」などとまとめられてしまうが、「サクヒン・ビジネス」の実態は、「売上げと利益」を除けば定量化も定性化も困難なゆえに明快さが無く、ほとんど一子相伝の世界だ*1。
つうかわからんヤシには一生わからん面が多い。
「生業と直結した思考回路」で、利得になる言動を「善意」。その逆を「悪意」と名付けてしまうと、理系原理主義と文系原理主義がカオを出す。
そりゃあメーカーサイドの人たちは腹が立つだろうが、著作権を特許のはるかはるか下に見るソコの浅い気風を、著作利権がずっと不愉快に思っていた事を知っているだろうか。
サムスンやVisioや友達光電の躍進ぶりを見ると「サクヒン屋」が「モノツクリ」に「ちと世の中の主導権をこっちにも回せ」と言い出したのは、そう悪い話でもないように思える(主張のナカミはともかく、パワーバランスの点で)。
「消費者」は第三者に過ぎない。キャスティングボードを握っているのは確かだが、主導権は取れない。「モノ」も「サクヒン」も創らないから。
解は「抵抗勢力の立場で、なぜ抵抗するのかを考え抜く」ことに尽きる。当たり前のことのようだが、私のように「抵抗勢力=悪」という考えにとらわれていては事態をこじらせるだけだ。理屈、感情、政治性などの視点で抵抗の理由を探り、それを和らげるアプローチを模索する。
ここ10年ばかりの状況は、著作利権もモノツク利権も、これまでのままではいられない事を示唆しているように思える。ヒトを善悪で分けると「いーやオレ達は正しい」で固まってしまい、碌な事が無い。
*1:広告代理店に似ているかもしれない