わかりやすいわるもの叩きはその場の溜飲を下げる役には立つがそれ以上のナニカである事はあんまりない。
「XXさえ殺せば日本は圧倒的に独り勝ちする」
みたいな文言を立て続けに見たきがする。「なかのひと」はわかった上でタイトルつけてんだとは思うのだけど一応。
1)
「XXさえほにゃらら」という文言は、現実の局面打開を遠ざけるリスクが高いと思う。日本がイロイロとズーンHD*1なのは、構造の問題だと思っているので。「XX(オレ以外)が悪い」という論法は容易に「わかりやすいわるものたたき」に堕す。これに慣れれば慣れるほど、ものみんたリスクが高まる。別に悪くないのに不二屋が倒産の瀬戸際に立ったりとか。
2)
「XXさえ殺せば」という文言は、「なかのひと」の改革を遅滞するリスクが高いと思う。それでなくても日本は視野の狭いタイプが多い。例えば;
(*04秋*)立食式の懇親会にて、ある半導体メーカーの元社長が、筆者を呼び止め、もの凄い剣幕で、「お前の言ったことはすべて間違っている」と叫んだ。さすがにカチンときた筆者は、理屈で応戦した。そのやりとりは以下の通りである。
- 湯之上 「なぜ、あなたは、私の言ったことがすべて間違っていると思うのですか?」
- 元社長 「日本半導体の技術力は、実際に高いからだ」
- 湯之上 「なぜ、そのように判断できるのですか? どんな証拠があるのですか?」
- 元社長 「おれの直感だ」
- 湯之上 「あなたがそのように直感で感じるには、何かの根拠があるはずです。どのような根拠があって、そのような直感を持たれたのですか?」
- 元社長 「日本の技術は本当に強いからだ」
沈み行く艦の艦長が口にすべき台詞は「この艦では勝てない」だ。
「神州不滅」とかでは困るのだが、艦長を代えたり艦ごと沈めてしまうよりは、脚本を上書きした方がローコストで済む。いずれにせよ、この型の思考回路は経営の要路から排除せねばならないが、それで済む話かというと、案外そうでもない。こうしたふるまいは、「終身ケツモチ*2構造の反映」という部分がデカイからだ。
2a)
「日本型経営/日本型雇用慣行」と「官僚内閣制」は表裏一体のものだ。中央省庁は「職域別政党の党本部」に過ぎない。日本の政治構造は、
- 「半官半民の職域別政党」が、「それぞれが管掌する範囲の民意を集約」し、「省庁連立内閣で擦り合せる」。
とゆうカタチになっている。これは「派閥論功だれでも一緒内閣」より強い。「天下り」は実質的に「党内の人事異動」に近い。あるいは、「上意下達と下意上達の双方の役目を負った、党本部派遣の政治局員」というに近い。
タテマエの内閣 | ホンネの内閣(中央省庁連立制) | ← | 職域別政党 | |||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
党首 | ← | 党本部 | ← | 党支部 | ← | 党員 | ||||
内閣 | ← | 事務次官会議 (内閣府) | ← | 事務次官 | ← | XX省 | ← | 各種業界団体 | ← | 特定の職業人 |
例: | ||||||||||
経産党(モノツク利権) 競輪・オート | 主に2次産業の業界団体 | ← | 主に製造業 | |||||||
文科党(研開利権) | 一府12省庁で最多の独法類(理化学研究所など) 旧帝大、私学助成を受けている私学など | ← | 学者、教員、研究者 | |||||||
農水党 競馬 | 農協類 | ← | 第二種兼業農家 | |||||||
国交党(土建利権) | ゼネコン類 | 建設業者 | ||||||||
総務党 宝くじ(目的は地方自治振興) | デンパキチ みなさまのNHK 地方自治体 旧電電公社 郵便局 など。 | 左記従業者 |
「各種業界団体」には、
- 「経済産業党」なら自工会やJEITAの類いが入る。その下に加盟社があり、さらにその下に従業員が居る。
- 「文部科学党」なら理化学研究所のような独立行政法人*3や、旧帝大、私学助成を受けている私学などが入る。その下に学者や教員や研究者などが居る。
- 「文部科学党文化派」の下には、上野山芸術団体やJASRACといった組織があり、その下に従業員、というか主に伝統芸術系のクリエイターが居る。
- 「農林水産党」や「国土交通党」は、特筆するまでもないかと思う。
これをなんと言うべきかはよくわからないが、とりあえず「職域別セルラー社会主義」とする。各党それぞれがコルホーズや人民公社のようなものだ。あるいは、「ギルド」と言うべきかもしれない。和風に言うと、織田信長が楽市楽座をやる前の「座」のようなものかもしれない。
いずれの「座」にも属さない「アウトサイダー」、例えば薬のネット販売業者などは、なにかと誹りをうける事になる。もしも心の中で任天堂を「京都の花札屋風情が」と思っている人があったら、そのひとは十中八九、人民公社メンタリティの宿主だろう。
それぞれの「党」には「それぞれの正義」〜例えば「日本の発展は技術のおかげ」、「教育は国の礎」、「食はいのちの基本」などなどなど〜が存在するわけだが、低成長時代に入って、それら「我党引水の呪文」は効きが悪くなってきている。国庫も乏しい。各党内部には永年の膿みが溜まってもいる。この構造におけるもう一種の「アウトサイダー」、すなわち非終身雇用者*4はかつてない水準に達している。
ゲンミツにはこの「職域別セルラー社会主義」は違憲だが、統治構造というのはえてしてそういうものだし、かつては「世界一成功した社会主義」と呼ばれるほどに佳く機能した。しかし、09Q4現在、「ソ連崩壊前夜」に近づいているようにも見える。
2結)
そりゃ政治にもマスコミにも不満はあるが、ぶっちゃけ政治もマスコミも民度以上のものにはならない。サスガに殺せまで言ってしまうと、『世の中に不満があるなら自分を変えろ。それが嫌なら耳と目を閉じ、口を噤んで孤独に暮らせ。それも嫌ならッ!…広い空の下、広い海へ出てみましょ〜! 』とかいわれてしまうのではないか。
3)
ついでながら「独り勝ち」を「よいもの」に置く構文も、長期的には見る者の意識に問題を埋め込む。ジャパンバッシングが終わろうが「ジャパンアズナンバーワンとかアロガントなエコノミックアニマルいい気味ぷぷぷ」という気分は、諸外国に長く残る。時局柄キモチはわかるが、ここはふんばりどころであるように思う。
などと偉そうにいってもナニをどうふんばりゃいいのか自分にはよくわからない。迂遠ではあるが、ふと修身とか、道徳とか、そのへんの単語が脳に浮かぶような気もしないではない。もちろん国に向かって「それらを押し付けるな!」と言うのは大事だが、これまでその代わりを埋める努力があったのかとゆうと、いささか心細い気分がないでもない。イマサラ渋沢栄一とか内村鑑三とか読んでみちゃったりなんかしてw。