高校無償化は「教育の自由」を奪う。

2010年11月:asahi.comの記事より
番号
日付
曜日
時刻
記事見出し
(1) 23日

21時42分
北朝鮮が砲撃、韓国軍の2兵士死亡 島民含む19人負傷
(2)
24日


01時21分
「戦争になるかも」韓国全土に衝撃 仁川市長が島へ急行
(3)
14時14分
朝鮮学校無償化、当面対象外に 官房長官「手続き停止」
(4)
25日

時刻未記載
橋下知事、政府を批判「理屈が見えない」 朝鮮学校問題
(5)
26日 03時00分
朝鮮学校、教科書記述の「改善」検討 無償化適用が前提
(6)
23時08分
在韓フィリピン人5万人、日本へ避難検討 砲撃事件受け
(1)と(2):23日の第一報から24日にかけ、韓半島の緊迫度が明らかになった。
 よくも悪くもこの段階では、集合的な無意識のなんとやらは、アドレナリンで満ちている。そこに民族国籍知識経験の区別もないだろう。
(3):その緊迫感の中で政府は「当面、朝鮮学校は高校無償化から除外」との方向を示した。
 しかし、対抗処置であるなら米韓中露と協議のうえで打ち出すべきものであり、この時点で具体策を公表するのは、迅速というより拙速だと思う。交戦当事国ではないのだから、周辺諸国の出方を見てからでも遅くはない。また内容的にも下策と思う。国内左派ばかりでなく、米韓および当の北朝鮮からも「民族差別!」の批判を喰らう余地がある。そもそも真っ先に検討すべきは、(6)在韓邦人の避難シナリオだろう。人間、パニクるとロクな事をしない。比国政府は優秀だ。
 また従来、朝鮮学校への制度適用について政府は『「政治、外交上の問題は配慮しない」との見解を国会で示していた』。「当面対象外」は、これと矛盾する。
 これに対し、高木義明文科相は『今回の事態は正常な教育、平和を揺るがす根底にかかわる問題』としている。さらに仙谷由人官房長官も『「現時点では制裁的意味合いではない」との認識を示す一方、朝鮮半島(情勢)が緊張してくる中、現時点では手続きを停止することが望ましい』としている。
 ならばあらかじめ「どの程度の事態なら"政治、外交上の問題を配慮"するか」、基準を練り込んでおくのがスジだと自分は思う。「ナニを以て平時と看做し、ナニを以て戦時と看做すかの基準」が曖昧では、パニクって要らん事に走るハメになる。少なくとも、朝鮮学校が今回の砲撃に対して責任があるというなら、その証拠を示すべきだ。この処置は、スジが通らない。これでは「国産リベラリスト」が、「ふいんきで掌返しをやっても反省しない奴ら」て意味になりかねない。
(4):翌25日、大阪知事の政府批判。
 橋下徹知事は『拉致問題があろうが(朝鮮学校生への)支援金は支給すると言っていたのに、砲撃したらなぜ止めるのか理屈が見えない。そもそも基準なしで支援金を払うと言うからこうなる』と述べた。
 まったくその通りだと思う。準備不足の言う「非常事態」ほどアテにならないものはない。安易に「友愛」を口にしたがるヤツほど底が浅い。パニクるとすぐ「マンザナール収容所」とか作る。100年後に謝罪したって、遅い。

 同記事によると大阪府は、朝鮮学校に対し独自の支給基準を提示している。
  (1)朝鮮総連との関係を断つ
  (2)故・金日成主席、金正日総書記の肖像画を教室から外す
  (3)金総書記らの個人崇拝につながる教育を改める
  (4)財務情報を公開する

 「彼ら」がこうした教育を行っているなら、それは在日日本人として「愉快ではない」が、それが「私学」である限り、自分は容喙する意思がない。「彼ら」には「彼らが望む教育」を子弟に施す権利があると思うからだ。それは日本国籍の有無とは関係ない「基本的人権」だろう。但し、税金を受け取るなら、「納税者の最大公約数」は必ず「教育内容に容喙」する。
 自分は、高校無償化制度は、朝鮮学校の問題ではなく、「教育の多様性をカネに換え」、「教育の自由」を損なう政策だと思う。
(5):翌26日、朝鮮学校が「妥協の姿勢」を示す。
 『全国朝鮮高級学校校長会』が『「生徒と朝鮮半島の事態は関係ない」と抗議する声明』を出したとの事だが、これは全くその通りだと思う。
 同時に『教科書の記述を再検討する方針を明らかに』し、『ある学校関係者は「歴史的評価の定まっていない現代の出来事については、教科書から外すことも選択肢の一つだ」』との事だが、これは「教育の多様性をカネに換える」だと思う。

 繰り返しになるが、税投入を求めるなら、「納税者」は常に「納税者の最大公約数」に従う事を求める。この事は朝鮮学校のみの問題ではない。

  ・国旗掲揚・国歌斉唱をするかしないか。
  ・ゼロトレランスを導入するかしないか。
  ・ケータイを禁止するか、学校指定ケータイのみ許可するか、それとも放任するか。
  ・性教育に触れずに置くか、それとも実情に応じたカリキュラムを導入するか。

 自分は、「私学」に於いては、これらは「自由」〜保護者・教職員・生徒の合意の下になされる「末路哀れは覚悟の前」〜であるべきと思う。「民あっての国であり、国あっての民ではない」なら、「教育の自由」は自費で護られべきものだ。税金は、その資力の無い人々に、そこから抜け出すための扶助として、集中させべきものと思う。
 高校無償化は、朝鮮学校の問題ではない。国民から「教育の自由を買い取る」政策だ。人々に「国あっての民であり、民あっての国ではない」を強いる政策だ。ソコんとこよう考えんとウチワの以心伝心でアクロバチックな理屈立てるから千鳥足になるんぢゃいっ。